「進撃の巨人」~最終話を読む前に~



第1話からの「おさらい」を終えた。

これで最終話を読むことができる。が、その前に現時点での感想を書いておく。

 

 最終話を読む直前の今、私の頭を占めているのは「エレンの目的は何か?」であり、ついで気になるのが「始祖ユミルの目的」。

あとは、小さいトピックがいくつかと、本日ふと浮かんだ感想など。
その順番で書くとしよう。

 

注意!
Twitterで「単行本派の方、ぜひ!」って書いてしまったけど、単行本派の方は読まないでください。

33巻(6/9発売予定の最終巻は34巻)の「あとの話」のネタバレあります! 

うっかりしてました。申し訳ないです。

 

 

Ⅰ. エレンの目的

 

 

目的については彼自身が「すべてのユミルの民へ」アナウンス済み。(第123話)

それは「オレが生まれ育ったパラディ島の人々を守ること」であり、そのために島外にある命はすべて「駆逐」する、と。

このアナウンスは完全に「右:保守」。同じユミルの民であっても島外にいるなら敵と見なして殺すってんだから「民族主義」ですらない。

 

一方、「この島だけに自由をもたらせばそれでいい そんなケチなこと言う仲間はいないだろう」(第127話)というハンジの考え方は「左:革新」ってことになる。

エルヴィンが自分を騙し仲間を騙して知りたかったのは「世界の真実」。

左はこだわる範囲が広い。

あんまり右だ左だと言いたくないんだけど、便利なのでつい。てへっ。

 

「エレンの目的」にこだわる理由は、エレンが「この島だけに自由をもたらせばそれでいい」なんて「そんなケチなこと」を目的としているようには思えないから。

いや、ちょっと言い直そうか。どうしても、それ以外の、それ以上の理由があると「思いたい」から。

だってさ~、エレンは「主人公」なんだよ。あんまり人気ないとはいえ(笑)

「排外主義者のクズ野郎」で終わってほしくない。

 

第126話のオニャンコポンの言葉を続けよう、「突然無差別に殺されることがどれほど理不尽なことか知ってるはずだろ!? どうしてあんた達がわからないんだ!?」

 

いじめられた子が、いじめる側になったり。
親に虐待された人が、親になって子供を虐待したり。
姑にイビられた女性が、姑になって嫁をイビったり。
遊女として苦労してきた人が、遊郭の女主人になって若い女性から搾取したり。
様々な差別や迫害を受けてきたユダヤ人が、パレスチナ人を迫害したり。

かつての被害者が自分と同じような被害者を作る、ということがなぜ起きるのだろうか。
思いついたケースを5つ挙げただけでも、それぞれ根が深くてげんなりする…

 

「エレンの目的」に戻ろう。

かつて、エレンには「勝手な期待」をして、大きく裏切られた。

その反省をふまえ、できる限り主観を排除して客観的に考えてみよう。

そうすると… エレンが本当に守りたかったものは「この島」ではなく、「お前たち」でさえもない気がしてくる。だって、右と左であんな殺し合いが始まったら、エレンの好きな「お前たち」の命は全く保証されないじゃないか。

 

実際、サシャはエレンのせいで死んだ… サシャが死ぬことは進撃の巨人の「未来を知る力」によっても、わかっていなかったのだろう。
グリシャも言ってたように、この力、まったくビミョーやな。

 

というわけで…
エレンが孤独に死守している(ように見える)もの、それは「自分自身の自由」と「お前たちの自由」。

そして、「始祖ユミルの自由」…


最終話で「ユミルの解放」がなされるとしても、それは、「エレンが自由を求めて突き進んだ結果、それに付随して起きること」に過ぎないのかもしれない。
が、エレンがユミルに言ったことは文字通り「奴隷解放宣言」だ。

「決めるのはお前だ お前が選べ 永久にここにいるのか 終わらせるかだ」(第122話「二千年前の君から」)

 

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ユミルが選んだのは「永久にここにいる」ことではないはずだ。

「待っていたんだろ ずっと 二千年前から 誰かを」

鎖手錠をブッチぎって全力で追いかけ、両腕を血だらけにしながらこのセリフをバック・ハグで言う… 女の子の口説き方としては最高じゃないか!
「何をしている!! ユミル!! 俺の命令に従え!!」「今すぐやれ!! ユミル!!」「俺は 王家の血を引く者だ!!」って怒鳴ったジークは不合格(笑)

 

「主人公の目的」と絡めて、「敵」の話をしよう。

少年漫画の主人公の目的、と言えば、それは大抵「敵をやっつける」ことであり、その敵がいかに魅力的であるかが作品の要。

進撃の魅力のひとつは、まるで「敵役の百貨店」のように豊富な敵役の品ぞろえと、その魅力にある。諌山さんは本当に「人間というもの」への造詣が深い。

 

クズとしか思えない典型的悪役のグロス曹長、そこまでクズではないけど敵対的なキャラクターとしてのフロックやアニ… おっと忘れてはならない、ケニーとジークも、ね。彼らの言うことが、めちゃくちゃ「まっとう」で説得力があったり、すごく人間臭くて親近感わいたり、ウィットに富んでいたりで… 例を挙げたらキリがない。

ガビも他の作品には見られないユニークな敵役だし、偽のフリッツ王、ニック司祭、サネス、マーレの元帥、そのへんの脇役のキャラ設定も見事だった。

というより、こうやってごく一部のキャラを挙げるのは悪手と思えるほど、「キャラづくり」が徹底しているのも進撃の魅力。

 

キャラと言えば、モブキャラの中での一押しは何と言っても「モブ」(笑)
モブは愛称で、モブリットって名前らしい。(第60話「信頼」)
いつか、モブリットが出てるコマを集めて「モブ特集」をやりたいとさえ思ってる。

 

あ、また話がそれた。戻そう。

まあ、とにかく、「王政と兵団、どっちがマシか」問題、「マーレとエルディア、どっちが悪いか」問題… 単純な二項対立に基づく勧善懲悪ではないところが、ストーリーを複雑にし、豊富なキャラの魅力をさらに活かし、読者を楽しませてくれる。
何度でも言おう。諌山さんは人間への造詣が深い。人生何周目?ってくらい深い。

 

「敵は何か?」の答えが変わっていく様もドラマティックに描かれてきた。このへんに注目すれば、ファンタジーというより質の良い社会派サスペンス。

調査兵団「存続の危機」から大逆転のクーデター成功に至るまでは、まるでドキュメンタリーのようだった。

 

主人公エレンにとっての「敵」は、最初は「人を食う巨人」であったが、「壁を破壊した巨人」、「壁の秘密を握っている王政」、「中央憲兵」、「世界」へと移り変わり…

そしてなんと、物語終盤に至っては主人公がエレンからアルミンに移った、と言いたくなるような事態となる。

 

「世界を救うヒーロー」はアルミンたちで、「世界を滅ぼそうとする悪役」がエレン。

「この世界を地獄に変えたのはお前らなんだぞ!! わかってんのか 人殺しが!!」

かつてエレンがライナーたちに向かって投げつけた言葉は(第46話)、そっくりそのままエレンに投げ返されるのだ…

これほどまでに「人類にとって悪とは何か?」を考えさせる作品、なかなか無いだろう。(ここで「亜人」のこともしゃべりたくなってきたが、長くなるのでまた別の機会に。)

 

ヒーローたちが決死の戦いを挑み、過去のヒーローたちの助力も引き出して、人類史上最悪の無差別「大量殺人鬼」エレンはヒロイン・ミカサにより息の根を止められた。

あの場にいたエルディア人はみんな、ジャンもコニーもおバカな巨人になっちまったけど、世界が救われるんだからいいやね。

めでたしめでたし。

 

んなわけない。


私が「エレンの真の目的」であってほしいと願う「ユミルの解放」は、すなわち「巨人のいない世界の実現」をも意味する。

もしそれが叶わないのであれば、「エレンこそが人類唯一の希望」と信じて彼を守るために死んできた大勢の仲間たちが報われないし、エルディア人と世界、両方を救おうとして不真面目なふりをして軽口をたたきながら真面目に黙々と頑張ってきたジークの努力も全て無駄になる。

それではあまりにも虚しい。めでたくない。


それとも、ミュラー長官と彼の言葉を聞いた人々が(マーレ兵たちだけでも)生き残れば以前よりはマシな世界ができる、と期待すべきなのだろうか?
「憎しみ合う時代との決別」「互いを思いやる世界の幕開け」(第134話)を?
いやいや、そう簡単には期待できないよ。キヨミがフロックに言ったことは的を射ている。エレンの思惑通り地鳴らしを完遂させても、それは「ただ世間が狭くなるだけのこと」であり、「相も変わらず同様の殺し合いを繰り返す」だろう。(第128話)

ましてや、第138話までを読む限りでは、エレンの言った「遺恨をなくす」=「地鳴らしの完遂」は成功しなかったわけで、今後ユミルの民と世界の人々との遺恨はますます深まるばかりだろう。

ほら! やっぱりエレンの真の目的は「地鳴らし」を完遂することではないよ。

「地鳴らし」を止めようとする仲間に(ミカサに)自分の息の根を止めてもらい、ニョロニョロ君を消滅させる(無力化する?)こと。

ニョロニョロ君がどう関係するかを具体的に知らないとしても、やはりエレンは自分が生きていてはユミルが解放されないことに気づいていそうだ。

ジークがリヴァイを呼んで自分を殺させたのと同様…

 

そうだよ、エレンの本当の目的はこの世から巨人を一匹残らず駆逐すること。

いちばん最初の目的に還るんだよ!

 

 という期待むなしく、この作品は厳しすぎる結末を迎えるかもしれない。

でもそれって実は現実の世界の有様と何ら変わりないんだよね。何度でも言おう、世界は残酷だ。巨人がいるにしろ、いないにしろ、それは変わらない。

 

言うまでもなく、世界は我々人類だけのものじゃない。人類に殺される側の生物から見れば世界はさらに残酷だし、そもそも生命が誕生して以来ずっと、地球は情け容赦ない競争の場だ。

 その競争から一歩抜け出したはずの人類。情け容赦を持って、知恵を使って、無駄な殺生を極力避けるのが人の人たる所以であるはずが… 

 今回のイスラエルパレスチナの衝突を見ても明らかなように、憎しみによる暴力の連鎖は容易には断ち切れない。

我々は「森から出ようとし続ける」ことしかできないのだろう。おそらく、永遠に。

 

この作品で私がいちばんつらかったのは第128話「裏切り」。「地鳴らし」を止めるために港のフロックたちと戦うところだ。

そう、今や主人公はアルミンで、この場の敵はフロック率いる「イェーガー派」。

さっき「憎しみによる暴力」と言ったけど、憎んでもない相手を殺さないといけないのは、いったい何故!? ダズやサムエルが何をした?

不本意ながら殺さざるをえないという場面は今までにもあったけど、相手が同期や「知ってる顔」であり、かつ目的の実現性・正当性がより不確かであるという点で、つらさはこの場がマックスだろう。

 

第132話でフロックが死んだ時だって本当につらかった…

ハンジさんだって言ったじゃん、「確かに 君の言う通りだよ フロック…」って。

 

もう、地鳴らし、止めなくていいよ!!

 

 と思わず叫んだ私のような読者は、次の瞬間には期待する。これだけのことをやったからには、物語の最後には相応の報いがあるはずだ、地鳴らし止めてよかったね、仲間を裏切って殺した甲斐があったね、そう思わせてくれるはずだ…と。

フロックは息を引き取り、ハンジの言葉は続く。「でも… あきらめられないんだ 今日はダメでも… いつの日か…って」
(死にゆく人に話しかける時、リヴァイもハンジも同じ態度。このトピックも別の機会に。)

 

132話のタイトルは「自由の翼」だ。…しびれる。

 

ハンジの、調査兵団の、何度負けても、どれだけ仲間を失っても、かつての仲間を裏切ってでも、自分が死んでも、あきらめない… 

飽くなき自由への渇望。

果たしてそれらが報われる結末なのだろうか。

 

エレンの真の目的に期待を置くのみ。

 

 

Ⅱ. ユミルの目的

 ~愛、絆、つながり、問いかけ~

 

ついで気になる「ユミルの目的」…

それは何だったのか?


単純に言っちゃえば「愛」? 人と人との「つながり」?
それにしちゃあ、彼女のやってきたことは、誰かを苦しめることだったよなー。

やっぱり、あのニョロニョロと接触したがために自分でもコントロール不可能な強大な力を得てしまい、自身もまたその力の奴隷になってしまったーーーそういうことか。

「人」が「神にも等しい力」を手にしちゃいかん、って話よ。

 

待てよ、でも、巨人が人を殺すのは、食べた結果死なせるのであって、殺そうとは思ってないんだったよね… 何かを食べる、それは生命にとって当然の行為。植物も何かを取り入れる、それも広義の意味での「食べる」に違いない。生命維持に不可欠。

無垢の巨人が人を食べるのは… んんん、なぜなのか… 巨人化しても人を食べなければいいのに。そしたら、ユミルのやってきたことはやっぱ愛だよね、って言えるんだけど… 

 

あ、思いついた。無垢の巨人は、人が好きだから、人を追っかけて、人を自分の中に取り入れちゃうんだ。

究極の愛は、彼我の境をなくすこと。うん、それだ、それ。
やっぱり愛だ!(笑)

ユミルが我が身を呈してフリッツ王を救ったのも、たぶん、愛……なんだろうな。

フリッツとの間には3人の娘ももうけている。あの咄嗟の行動の理由には、「娘たちへの愛」も含まれているのかもしれない…

進撃は、親子愛、兄弟愛が占める比重、かなり大きい。

「愛」という言葉が不適切なら、「誰かを大切に思う気持ち」?

 

今日、Twitterで「愛も絆も結果論なんだと思うよ。ミスチルじゃないけど、気がつくとそこにある。”そこ”は当事者間だけに見える世界(間主観)。取り戻したり目指すものじゃない。」という識見を見つけた。(ミスチルのどの歌かわからないけど)

本当にその通りだと思った。「絆」という文字が大きく描かれた揃いのTシャツに感じる違和感は、そういうことだ。

 

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ユミルだって、「愛ありき」でフリッツを助けたのではないと思うんだよな。咄嗟に前に出てしまった。思わず、動いた。

なぜ動いたのか? 彼女にもわからないだろう。後悔さえしたかもしれない。

なぜだかわからぬが、「気がつくとそうしていた」のだ。

愛も絆も結果論。

 

「気がつくと」フリッツ王を助けていたユミル。倒れて動かぬ彼女に対し、王は言う…「何をしておる 起きよ お前が槍ごときで死なぬことはわかっておる 起きて働け お前はそのために生まれてきたのだ 我が奴隷ユミルよ」

これね… なんてむごい言葉なんだろう。

ユミルがもう二度と目覚めず、たった一人で砂を運び続ける永遠の奴隷となって当然の言葉だよね…

 

ユミルと王との間にも「当事者間だけに見える世界」があったのかもしなれい… 

王の側にもユミルを「彼なりに」大切に思う気持ちがあったのかもしれない。それは、むごい言葉を言い放つ前(のページ)の王の表情に描かれている何かではなかろうか。

愛や絆は「気がつくとそこにある」もの。「結果論」的な、何か…


そうだ、確かにあったのだろう。常にではないけれど、どこかに、おぼろげながらも、確かに。そして今、突如ユミルを失ったかもしれぬと感じた瞬間の王の心の中にも、あったのだ。気がつくとそこにあったのだ…

あったにも関わらず、いや、それに気づいたからこそ、王は自ら放った冷酷な言葉によって、なかったことにしてしまったけどね。

 

直截的に描かれていることに限っても、王は「それなりに」ユミルを大切にしていたのがわかる。

自分の座る玉座のすぐ傍らにユミルと娘たちを置いていた。ユミルを「妃」の玉座に座らせる、なんてことはしない。パイプ椅子さえ用意してないが、少なくとも自分の「すぐそば」の「同じ高さ」に立つことを許していた。「奴隷」に許される立ち位置としては破格だろう。
まあ、常にそうではなかったとも考えられるし、ボディーガードとして使うための位置と解釈できなくもないわけだが。

 

王は死んだユミルの体を娘たちに食わせた。
これは、我々現代人の感覚で言えば、「むごたらしい」こと以外の何ものでもないが、当時であればそうひどいことではなかったかもしれない。

「現代」の日本においても地方によっては火葬後の骨を近親者が食べる習慣があった、と知った時は全くもって驚いたが… かけがえのない大切な人の遺体を食す、これもまた「愛」のひとつらしい。

(私の父が亡くなったあと、異母妹は遺骨で作った灰をペンダントにして肌身離さず身に着けている。口数少ない彼女が日頃から「お父さんは世界一かっこいい」と言っていたのと無関係ではなさそうだ。)

 

カニバリズムまで描くとは… 作者畏るべし。

ん? 巨人は人だった。人が人を食ってた。だから、最初っからこの作品はカニバリズムを描いた作品、ってことになるね。なら、今更驚くこともないか。しかも、生きたまま食うんだから。

 

ユミルは何かへの深い執着があったのか(あるいはニョロニョロ君との物理的なつながりゆえ?)、死後も巨人の力に囚われ、自由になれなかった。粘土をこねるように砂をこね続け、「果てしない時間を費やして」、子々孫々の代まで巨人を作り続けた。

あそこにいて巨人を作り続けている限り、彼女は一人ではないと感じられたのかもしれない。「道」によって「すべてのユミルの民」とつながっているのだから…
どこかで誰かが望む限り、彼女は巨人を作り続けた。

 

エレンの言った通り、自分を自由にしてくれる誰かを待っていたのは確かだろうが、彼女は自分の子孫と、つまりは自分の「家族」と、つながっていたかったのかもしれない。ユミルにとっての「家族」とは… 3人の娘と、そして、その父親であるフリッツ王。

「血縁」は客観的事実である一方、「家族」ってのは実はずいぶん「間主観的」なものなんだよね~。

(「家族」と言えば、この作品には婚姻や男女の関係の描き方に特徴が感じられる。このトピック、また別の機会に。)

 

エレンが「オレは… お前の何だ?」と質問したのも(第123話)、ミカサが「……あ… あなたは… 家族…」と答えたのも、間主観性に深く関わる話。

ミカサは「あなたは、私がこの世でもっとも愛する人」と答えるべきだったのか?

そう答えることができないのがミカサであり、そしてミカサとエレンという世にも稀な特別な二人だからこその「間主観」問題。

 

この世の中、「愛」も「家族」も陳腐な言葉になり果てた感があるが、「家族」と答える方が愛情表現としてまだマシな気がする。

「いい人」ってのがアルミンの言う通り「自分にとって都合の良い人」だとすれば、「好きな人」ってのは「自分にとって都合の良いところが多い人」で…

愛する人」は「自分にとって都合の良いところがめっちゃ多い人」だよね。

 

 例えば、「無償の愛」ってどこにあるの? 

「無償の愛」の代表とされる「親の愛」なんて、実際にはエゴだらけですけど。
ああ、愛情表現の話だった。

「愛してる」よりも「今夜は月がきれいだね」の方が好きだな、私は。

いや、言葉は要らない。半世紀以上生きてると実存主義になる。

 

この場面、ミカサには実に合計12個の「…」が使われている。そして、言葉とは言い難い、3個の「え?」と1個の「…あ」。

言葉にならないもの、それこそが真実なり実態なりを表すもの。

あの時ミカサが語りえなかったもの、この作品を読んできた私たちは知っている。

すべてを知っているのである。

 

エレン… きみだって知っていたはずだ。

 

とすれば、あれはきみの質問ではなく… 愛の告白だったのか。
少なくとも、「めちゃめちゃ切実な問いかけ」だったね… 私にはわかるよ。

わからなかったのはミカサだけ。

 

そのミカサも、わかった。わかったから息の根を止めた。エレンの望み通りに。

 

さて…

いかに私が勝手な憶測を繰り広げようとも、11年7か月かけて描かれてきた物語の結末はもうすでにリビングのソファの上に置いてある。別マガ5月号の中に。

 「エレンの目的、ユミルの目的は何だったのか?」という問いは、この辺で置くとしよう。

 

 

Ⅲ . 気になること + 所感

 

● 第65話、ロッド・レイスがヒストリアに、「まだ…話してないことがある… 私が…巨人になるわけには いかないんだ… 理由がある…」と言った、その理由とは?


ただ自分がクズであることを否定したいだけなのか、それともしかるべき「理由」が本当にあるのか、わりと長いあいだ気になっていた。

もうどうでもいいや、気にしない、といったん置いた疑問だったが、どうやら私が思っていた以上に、この作品の重要なところにヒストリアが絡んでいるので… ここに来て再浮上。

 

床にこぼれた液を舐めただけにも関わらず(あるいは、それゆえ!?)ロッドの巨人はあんなに馬鹿デカい巨人だった。ロッドの言った「理由」って、それと関係あるのか、ないのか?

注射の中身は、ロッド自らが選んだ「強力な巨人」「最も戦いに向いた巨人」になれるはずの液体。なのに、奇行種の「できそこない」になった。それもまた量が不足していたからなのか?

ロッドは、自分が巨人化すれば「できそこない」になる、とか、馬鹿デカい巨人になって地下空間を破壊してしまうとかわかっていたのだろうか?

第87話でグロス曹長が言ったことが真実なら、無垢の巨人の大きさは注射時にカンタンに「調整」可能らしい。 液体の量で調整するのか?

それとも、本当は調整できない? 

ま、これは些末な疑問。ロッドが真のクズかどうかも(笑)

 

 

● 第89話、ユミル(104期生のユミル)を拾った男は、なぜ彼女を「ユミル」と名付けたのか?


ユミルが彷徨ってたのは60年くらいなので、大陸はとっくにマーレの支配下だよね。なのに、なぜ、あの男は道端の浮浪児を崇め奉ったのか? ユミルの民が「悪魔」であることは、当時すでに常識だったろうに、いったいなぜ?ーーーーと考えるとよけいに、彼女を拾うしかるべき理由があったように思えて、それは何だったのか気になってくる。

ユミルの手紙では、わざと(ユミルの意思か作者の意思か、それは不明だけど)その辺がボカされた気がする。

ユミルは、ストーリーの比較的早い段階で(単行本だと12巻だっけ? えっと…「女神様もそんなに悪い気分じゃないね」は第50話だ)消えたキャラなので、みんな忘れてたかもしれないが(実は私も忘れかけていた)、実はめちゃくちゃ重要なキャラだ。そして、めちゃくちゃ魅力的だ。賢くて、馬鹿で、「里帰りのお土産」になってやったユミル… 本物の女神だと思う。

最終話で、彼女に絡んだ何かが…ある?

 

ミカサがサロメなら、ユミルはイエスだろう。

と言うのはなぜか?を含め、ユミルについてはまた別の機会に。

 

 

● ヒストリアから生まれてくる子供

 

私はヒストリアが好きではない。それでバイアスがかかって、よけいにエレンの行動が腑に落ちなかったのだろう。おさらいしてみてわかった。

エレンは、すごくヒストリアを大切に思っている。他の仲間以上に、と言ってもいいかもしれない。その理由は作品を読めばわかるので割愛する。

今までだって十分わかっていたのに、心のどこかで認めたくないと思っていたらしい。

ヒストリアの産む赤子は、さて、ただの赤子なのか。それとも…

ただの赤子だった場合は、つまり、「巨人のいない世界が訪れた」、その象徴として描かれるだろうと予想している。

 


● 複数の巨人の力を持つ者が死んだ場合、力が継承される先の赤子は一人なのか、それとも複数なのか?


ジークはエレンor始祖ユミルによって「とりこまれ」ていたらしいが、アルミンと同様に「道」から脱出、その後にリヴァイに切られたから、死んだとすれば「獣の巨人」の力は誰かユミルの赤子に継承されるだろう。(死んだのだろう、「地鳴らし」が止まったからね。)

エレンの場合は… 始祖と進撃と戦槌、3つ持ってる。

それぞれの力は、3人の赤子に継承されるのだろうか? それとも1人に!?

という疑問は以前からあって、ずっと気になっていた。 

 

気になる赤子が、もう一人いる。地鳴らしに追い詰められ、断崖絶壁から落下する直前に女性が託した子。赤子だけはみんなにリレーされて助かった。

あの子が、追い詰められた人類にとっての「希望」や「思いやり」の象徴として描かれているのはわかるが、それ以外の何か重要な役割を担ってたりするのだろうか?
巨人の力を継承する、とか? 

今までは「生まれる前、つまり母親の胎内にいる時に継承する」と勝手に思い込んでいたが、そうとは限らないと気づいた。赤子であるなら、すでに生まれていてもOKなのかも。

 

もしも最終話で「巨人のいない世界」が実現されるのならば、このへんの疑問や憶測はすべてムダに終わる(笑)

 

 

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● ルイーズがエレンに話したことは?

 

ジークとの接触を果たした直後(第120話)、エレンは様々な記憶がフラッシュバック。その中にルイーズの顔がわりと大きめに出てくる。

そして、もう一か所の記憶フラッシュバック、130話の「すべては… この先にある」というエレンの独白部分に描かれた小さい顔… あれも、ルイーズかもしれないと思う。
(ヒストリアにも少し似てるんだけど)

 

ルイーズはエレンと会話した時に、ミカサのことについて話したはず。それは最終話で明かされるくらいだから(と決めてかかる)、きっと重要な内容で…

ミカサがマフラーを返してもらいに行った時、もっとルイーズに優しく接していれば… 話してくれたかもしれないのにね。ミカサはやっぱりコワイ。

 

そんな怖い女のこと、あきらめずにずーーっと好きなジャン、最高に好き!(笑)

「俺は訓練兵の時から奴は危険だと言ってきた… エレンは皆を地獄に導く クソ野郎だ そんなクソ野郎を… 俺は…妬んだ かっこよかったから」って言うジャン、かっこいい。

 ああ、やっぱり男女の両想いなんてつまんねー。片思い、最高。

ガッキーがホッキーになる? 

エレンとミカサも、けっしてフツーに結ばれないところがいいんだよ。

 

 

● やつれた幼いベルトルト、丸首シャツの若いグリシャ

 

さっきと同じ第130話の同じコマで、アルミンの下のすごく小さいのはベルトルトだよね。

幼い気が… それに、巨人化の後っぽい、やつれた顔。

その頃のベルトルト、エレンは見たことないはずだけど… 例の「誰の記憶だろう」ってやつで、何かあるんだろうな。

 

 

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お、そうだ、その前のページの豚の下のグリシャも気になる。

エレンが「どこからが始まりだろう」と自問自答をしている場面で… 「どこでもいい」と書いてあるコマなんだけど。

服も表情もこれまで見た覚えがない、若い頃のグリシャだ。ちょっと悲し気な? 感極まってるような? 涙目っぽい。
子供たちにも聞いてみたけど、いつのグリシャかわからないとのこと。

最終話でわかるのかもしれない。

 

この漫画、今まで無駄なコマはひとつもなかった。(偽予告ミカサ・アルミンのコマは重要な読者サービス。)
この期に及んで無駄なコマがあるわけない。

 

 

● 海のシーンを思い浮かべたアルミンが考えていたこと

第118話、エレンの真意についてのアルミンとミカサの会話。

「私のことが嫌いって… 何でそんなことエレンは言うの?」とミカサに聞かれ、アルミンは「…… それは…」と言葉に詰まり、みんなで初めて海を見た時のエレンの後ろ姿を思い浮かべる。その後のセリフは「…まさか」。

あの時、アルミンの脳裏に浮かんだことは、いったい何だったのか?

これはかなり重要なことに違いない。

 

 

● ニョロニョロに巨人にされた皆さんは、人間に戻れるのか?

 

巨人化する前、ジャンとコニーが肩を組んで話す後ろ姿… 最高だった。

二人ともあのまま(ライナーに嚙みついてたけど 笑)巨人になったままなのか!?

ガビやカリナは巨人のままでいいけど、って思っちゃうところが、まあ私が普通の人間であることを表してるな。

人間に戻らないのだろうか?

戻ったら… それ「進撃の巨人」じゃなくなっちゃうか?

諌山さん、そういうのを「読者への裏切り」って言う人だよね?

 

人間に戻るもよし、戻らぬもよし。

これまで見せてくれた戦場での惚れ惚れするようなジャンの雄姿…

「テメェは、俺の母ちゃんか!?」などの名セリフ、「服なんかどうでもいいだろうが!うらやましい!」と流した悔し涙、セントラル一等地の家で上等の酒を飲みながら黒髪の妻子を見守る妄想、「弱い人の気持ちがよくわかる」(マルコ評)普通の人間としての深い優しさ。

それらを胸に刻み…

生涯何度でもおさらいするのみ。

  

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後のことは仲間に託す
それが調査兵団の最期…
このシーンのジャンとコニー、イケメンすぎるよ… (T_T)


 

● 壁を作っていた数千体の超大型巨人について

 

彼らもいわゆる「無垢の巨人」なのだろうか。ならば、自分の意志ではなく、第145代フリッツ王によって巨人化させられたわけで、もともとは数千人の人間。

同期のユミルは巨人として彷徨っていた60年ぐらいの間は「終わらない悪夢を見てるようだったよ…」と言っていたし、アニも水晶の中で「4年間… ぼんやりと夢を見ているようだった…」のだから、彼らも100年以上壁の中で微動だにできない間、ぼんやりと意識だけはあったのだろうか? 

 

巨人化後どのくらい人間性が残っているかは個人差が大きい。

ユミルと共に縄に繋がれた後、一緒に巨人化された女性。(第89話)

その女性の巨人はユミルと似た兵士イルゼをユミルだと認識したばかりか、敬意を表す姿勢を取り、はっきりと言葉を話した。(第5巻「特別編」)

あの巨人、顔がソニーに似てる気がする。大きさも合致するし…(第20話) ソニーなの!?

 

さらに横道にそれるが、ダイナの巨人もベルトルトを無視して街の中へ入っていった。「どんな姿になっても…あなたを探し出すから」と言った、その最後の決意通りグリシャを探してだろうか。

グリシャの家に行ってカルラを食ったのも、もう少しでエレンを食うところだった(第50話)のも単なる偶然ではないのだ。カルラとエレンを食おうとしたのは、何も嫉妬からではなく(?)グリシャとの「つながり」がそうさせたのだろう。

そうだ、始祖ユミルが欲したのもきっと、人との「つながり」。


壁の役割を担わされた巨人のことを考えてて、一生「扉」の役割を務める蟻のことを思い出した。役割というか、もう「扉」自体。蟻自身が扉そのもの。

「扉」以外にもまだ例がある。仲間から蜜を口移しで受け取った蟻はどんどん腹部が膨れ上がり巨大化する。その蟻は他の活動をしない「貯蔵タンク」になるのだ。(この蟻の巣をみつけた人間は喜んで食うわけだがー 笑)

研究者の話だと、扉も貯蔵タンクも、それになる蟻は優れた個体で、群れの中では「花形」らしい。

「選ばれし蟻」として一生扉だったりタンクだったりするか、それとも平凡な蟻か、と問われたら… そりゃ平凡な方がいいに決まってる。

 自由がいい。私は人間だから…ね。

 

ユミルの解放は、彼ら数千人の「壁にされた人間」たちの解放でもある。

解放されれば、消えるのか、それとも普通の人間に戻るのか!?

100年以上壁の中に閉じ込められ、やっと散歩できるようになったと思ったら今度は世界中の人間を虫けらのように踏みつぶして回る、っていう悪夢… 

海を泳いでるのは面白かった! まるで集団遠泳。

って楽し気に書いてると「悪夢」って雰囲気薄れるじゃん (笑)

 

長い悪夢から解放された彼らが元の人間に戻ることを期待しよう。

「すべての巨人化」が解かれ、ジャンとコニーたちも人間に戻れますように。

 

 

● 最後の疑問

 

これは、言わずもがな。

子供の頃、エレンとミカサが薪を拾いに行って、眠ってしまったエレンをミカサが起こす、あのシーンにちりばめられた伏線が、最終話でどう回収されるのか。
それとも、第138話の、あのエレンとミカサですでに回収済みなのか。
いやいや、まだ完全に回収されてないぞ。と言いたい、期待する読者。

 

物語が初めに戻るという、まあよくある文学とかの形式が頭によぎったついでに言えば(この作品がそうであるとは思っていない、それじゃあつまらない)、諌山さんはニーチェ永劫回帰とか、それがどう批判・否定されたか、それでも今なおどういう意味を持っているのかとか、いろいろ勉強して作品に用いたんじゃないかな~って思う。

 

ニーチェみたいに考えてると狂気の力が増してくるんだろうけど、諌山さんは「普通の人間の精神」を持ってて、そこは失わない人のような気がする。狂人じゃなくて強靭(笑)。

そういう感想を持たせるところがまた稀代の天才。並外れた努力も含めて。

 



● ふと浮かんだ感想、など

 

もうずいぶん前の話になるが、「ハリー・ポッター」シリーズも進撃と同じように、ほぼ9年で全作品を読み終えた。最後の方を読みながら考えていたことは、「これって結局のところ、ハリー・ポッターの話というよりはスネイプという男の物語だったな」ということだった。

実は、それとすごくよく似た感覚で、以前「これはグリシャの物語だ」という感想を持ったことがある。

その時に妙な既視感を覚えたのだが、その正体は、映画「スター・ウォーズ」だった。ルークじゃなくて、アナキンという哀れな男の物語だったんだなー、と思ったのよね。(「エピソード3」までの感想。)

息子の話だと思ってたけど、実はその父親から物語は始まっていた、というところが同じだったわけ。

 
そして今… 「この作品は、ライナーの物語だったんじゃないか?」と感じている。

 

と書いて気づく。ああ、私は「哀れな男」の物語が好きなのかもしれない。
以前書いたケニー、彼と同様に好きなのはキースの話だ。キースは大好きな映画「アマデウス」のサリエリと似ている… 自分は特別だと思っていたのに、天才に出会って劣等感からボロボロになるところが。


キースと、それからエレンの母カルラのこと。
男の嫉妬は醜い?って話と、男ってマザコンよねって話。

そのへんはまたの機会に~。