「進撃の巨人」にノーベル賞を!! ~第69話の感想(続き)と最終話の予想~

まずは、第69話「友人」の感想の続き。
アッカーマンつながりで、ケニー、リヴァイ、ミカサのこと。
そんで、第138話のミカサ&エレンから、そのまま最終話の予想へ。


ってな感じでいきます。
(以下、青い文字の部分は先日のブログで書いた自分用のメモ)

 


リヴァイの母親とミカサの母親の違い。

リヴァイの母親は、アッカーマンを名乗らず、息子にも伝えなかった。

一方、ミカサの母親は、一族の誇りを忘れず次世代に伝えよ、と娘の腕にも刻印を施した。

「アッカーマン」と「東洋人」の違いがあるから、いっしょくたに論じちゃいけないけど。

ちょっと意地悪く言えば、リヴァイの母親は地下街の孤独な売春婦であるのに対し、ミカサの母親は愛する夫と娘を得て不便な山暮らしながらも家族で幸せに暮らしていた、その違いが大きいと思う。

 

リヴァイは「客の子」だ… 

父親が誰か、クシェルはわかっていたのだろうか?
もしその客に対して特別な感情があればなおのこと、「アッカーマン」の運命がもたらした皮肉(売春婦になったからこそ、その男とめぐり会えた)と不幸を呪っただろう。

生むと言って聞かなかったのだから特別な感情があったのかもしれない。

と思ったそばから、「みんな何かの奴隷」というケニーの言葉を思い出し、クシェルもまた誰の子かさえわからぬ小さな命に生きる意味を見いださざるを得なかった哀れな奴隷だったのか、とも思えてくる。

 

 

アッカーマンは純粋で一途で優しい。(つおい!)

ケニー、リヴァイ、二人とも決して目的を見誤ることなく、目的完遂のために一直線に非情に突き進む。そして任侠の親分よろしく、部下への思いは熱い。

リヴァイなんか、口汚い言葉とは裏腹に何でこんなに優しいのかって思うくらいハートフル。

ケニーだって、ああ見えて実は部下思いだった。でないと、あんなに優秀で現実主義的な憲兵の若者たちが、実現可能かどうかあやしい「この世を盤上ごとひっくり返す」なんて壮大な「夢」を語る変わり者についていかないと思う。

それに何より妹思いだったしね… 第97話の台詞、感動。

ケニーが最期の時になってようやくリヴァイに伝えた「俺は人の親にはなれねぇよ」… あれ読んじゃうともう、自分なんか本当に親になるべきじゃなかったと思えてくる。

すみません。

私を許してくれ、子供たちよ… いや、許してもらおうなんて虫が良すぎるね。もうすべては取り返しがつかない…

ミカサも同じ。

ミカサも同様。ひたすら純粋にエレンが好きで、エレンを守るという目的のため一途。一途すぎてコワイ。エレンの気持ちを見誤ったり、エレン以外の人には情け容赦なかったりする。

でね、やっぱり優しいんだな。エレンの首を斬り落としたのは深い優しさゆえ。

他の誰でもないミカサの手で息の根を止めて欲しいと願っているエレンの思いに気づいたから。

エレンがどこにいるかわかったのも、そういうことだよね…


ミカサはサロメサロメよりすごい。

ググってみたら、聖書のサロメはヨカナーンを好きだったわけじゃないらしい。でも、オペラとか、その後の文学や漫画に出てくるサロメにとって、ヨカナーンは「惚れた男」。

自分の思い通りにならない男を別の男(自分の魅力にメロメロになった権力者であり義父でもある王で、実際に手を下したのはその部下)に殺させて、その生首に口づけるほどの執着ぶり。

ミカサは自分で手にかけた。

サロメのヨカナーンに対する狂おしい愛、それ以上の愛がなければできないこと。


ユミルの微笑み。なんであのコマにユミル描いたん?

第138話、いちばん最後のコマ。

ミカサとエレンの純愛、そのクライマックスのシーンだ。

あそこにユミル描く必要、フツーはない。なぜユミルを同じコマに入れたのか?
ユミルはなぜ微笑んでいるのか? まるでモナリザ

「フツーは要らない」何かが描かれている時、それは伏線に決まっている!

この作品に、無駄なコマ、無駄な台詞、無駄な描写は一切ない。無駄な句点、「…」すらも。
ウケ狙いは別。ってか、それは無駄どころか作品全体において重要な役割を担っている。料理におけるスパイス。


自由、だよ、自由。

ユミルほどの奴隷はおらん。永遠に奴隷やん。
エレンが目指したのはユミルの解放なんちゃう?

エレンが死ぬ → ニョロニョロが消滅する → ユミルの解放

これはエレン自身が願ったことであり(「ミカサの手によって死ぬ」ことを含め)、ユミルはそれが今目の前で成し遂げられたことを祝福して微笑んでいる。
という解釈、どうですかね?

エレンが求めてやまなかった「自由」とは、言うまでもなく己のみがやりたい放題の自由ではなく、己と同様他者に対しても自由であることを保障するものだ、と思いたい。

はい、エレンの目的は、「奴隷ユミル」の解放!   


「外の世界に人類がいたことにがっかりした」のは本当やろうけど、それでも、エレンはずーーっと「巨人がいない世界」にしたかったんちゃうの!?

そりゃ気持ちいいでしょ、圧倒的数の強大な力を従えて、まっさらに踏みつぶされた世界の地平を、あれだけ高い所から、風を感じながら眺めるのは。

でも、それだけじゃないはず。

あの時少年エレンが見ていたのがどんな景色なのか、それは描かれていないのだから。

あの時、エレンは「なぁ、アルミン」と、そばにいないアルミンに思わず呼びかけた。

そこだ、そこ。単に「地ならしによって踏みつぶされた世界」という景色であれば、いくら無邪気な少年の姿のエレンであっても、「なぁ、アルミン」と、アルミンに「共視・共感」を求めたりしないのではなかろうか?
エレンは、そこまで「無邪気な」クズなのか?
実を言えば、最近クズだと思ってたんだけどさ~、また最初から読み直してみると、クズじゃない気が…笑

 

少年エレンとアルミンが「道」で遭遇したその直後、船上でのアルミンとアニとの会話からも、「大勢の人々が踏みつぶされた悪夢のような世界」ではない何か… そこには何かしら「いいもの」が存在するのではないか、と期待される。

どうしても期待してしまう、というのが正確な表現かもしれない。


ああ、諫山botなんか見るんじゃなかったー、エレンとアルミンが考えの相違からいずれ袂を分かつというのも、諫山さんが読者の期待を裏切るのが好きだというのも、かなり初期の頃にbotで知ったんだよね。(「ネタバレ」問題に関してはまた別の機会に書くつもり。)

 

話がそれた。

アルミンとアニの会話に戻そう。

 

「…頭のどこかで いつか… エレンと一緒に未知の世界を旅するって約束 それが叶うと …思ってたんだ」

「未知の世界は… そんなにいいものじゃなかったでしょ?」
「うん… 僕らが夢見た世界とは違ったよ… …でも まだ…僕らが知らない 壁の向こう側があるはずだと… 信じたいんだ」

 

ここ、「信じたいんだ」がその前の文よりだいぶ小さい文字になってるの重要!
つまり、あるはずなんだよ! 「まだ…僕らが知らない 壁の向こう側が」!

 

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この「まだ僕らが知らない」は、「まだ読者が知らない=まだ読者に知らされていない」である。

つまり、最終話で知らされる。

と私は信じたいんだ!!!

 

それはきっと、リコが「みんな……死んだ甲斐があったな…」と言ったような、それを目指して調査兵団が己の心臓を捧げ、仲間を見殺しにして突き進んできたところの…「バカみたいに壮大な理想の世界」であることを…
信じたい。

 

 ユミルがジークでなくてエレンを選んだ理由は、安楽死か繁殖かって話じゃなくて、

ジークは「俺は王家の人間だ。俺の言うことを聞け!」で、エレンは「もう誰の言うことも聞かなくていい、お前が選べ!」だったから、私はそこの違いやと思ってたけどな~。

 
ユミルが囚われていたその相手はフリッツ王ちゃう、あのニョロニョロやん。
(なんでユミルが王を助けたのか… 「愛」とは言いたくない。けど、愛っていろいろやから… 自分が死んでもかまわないから相手の命を救いたい!って思うことさえ希なのに、あの場面で咄嗟に動けるのって… 「愛」という他に何と言えばいいのか、私は不勉強ボキャ貧なのでわからん…)

 

うん、ほんまほんま。

エレンが死ねばニョロニョロも消えるんちゃうか~
ユミルは解放され、巨人もいなくなる、ジャンも人間に戻る!

めでたしめでたし
という安易なハッピーエンドに、あの諫山さんがするわけない、とは思うけどな。

 

 

うん。
我ながら、書いてることの精度が低すぎてイヤになる。

精度上げようとして台詞の抜粋を多用すると読みにくくなるし、難しいな。


自己嫌悪から書くのが面倒になったせいもあり、ブログはちょっと休憩してた。

ここ数日は「原典に当たれ」ちゅーことで、1巻から読み直してて、今は7巻。

とりあえず、これだけは言っておこう。


進撃の巨人」は、ノーベル平和賞ノーベル文学賞に値する作品です!!

 ほな、また。