「進撃の巨人」最終話の感想(後半)

最終話を読み終えたのは、5日ほど前のこと。

読後すぐ書き始めた感想、なぜか保存できていなかった。orz

その後、オトナの事情により書けず。

 

数えてみたら、残りは17ページだった。

最終話は50ページ(編集部後記を含めれば51ページ)だったから、ちょうど2/3辺りまで読んでいたことになる。

 

気持ちが熱いうちに、印象深いところだけでも、さくっと書いておこう。

 

文句なしの後半だった。

 

「人か… 巨人か…」というセリフが、ここに来てまた登場するとは思っていなかったし、エルディア国が生き残った人類の報復を恐れ、島民一丸となって軍備増強しているというのも予想していなかった。

「エルディアと世界 どちらかが消え去るまで この戦いは終わらない エレンの言ったことは正しいのかもしれない」というヒストリアの(いい匂いのする)手紙。

「この辺りで撃沈されても大して驚きはしないかな…」と言うピークちゃん。

 

それに比べ、私は平和ぼけだね~。平和ぼけ、おおいにけっこう。

思えば、第1巻のハンネスさんの平和ぼけのセリフを読んで、この漫画はいい作品だという確信を持ったのだった。
ハンネスに同調して調査兵団をディスった兵士に毅然と反発するエレン。

最初っからよかったよな~。

 

あ、さっきの「ピークちゃん」で思い出した。ジークのことは誰も何も言わないのか。

ならば、前半の感想で写真のキャプションに書いたことを繰り返そう。生まれたばかりのエレンを抱いて「お前は自由だ」と涙ぐむグリシャ、彼の胸中には自らの手駒とするために「マーレの戦士」になるよう育てたジークへの思いがあるはずで… 

そう、この物語は、グリシャ、ジーク、エレン、3人の物語だとも言える。

ジークもまた、いかにも彼らしいあっぱれな最期だった。

と私がここで言及しておかねば、あまりにもかわいそうだ。

ジークファンとして、彼の魅力を讃える記事は別の機会に書こうかな。

じゃあ、ジャンとハンジとサシャとユミルとケニーとキースとフロックとモブリットと…(笑)

 

また横道に逸れてしまった。「エルディアと世界」に戻ろう。

和平交渉が無事成立するのか、「巨人のいない世界」が平和を維持できるのか、この先を作者は描かずに終わった。

すばらしい。それこそ「世界の現実」だ。先のことは誰にもわからない。

リヴァイもそう言ってたね。

  

残り1/3は本当に文句なしだった。
ミカサを見送って涙をぬぐった後のアルミンの、あの凛々しい表情。

船中でのジャンとライナーの掛け合いにも大満足。

 

けど、あえて私の趣味趣向を言わせてもらえば、マフラーにちょっかい出したあと飛んで行く鳥よりも、「…また あなたに会いたい…」と涙するミカサで終わってほしかった。

ラストシーンは明るい方がいいってのはわかるんだけどね…

 

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石碑の文字は「サイアイノ アナタ ココデトワニ イネムリニツク」と読める。「最愛のあなた ここで永久に 居眠りにつく」…

同じ場所で居眠りしていたエレンを起こしたミカサ。

壁が壊された「その日」は845年で、二人とも10歳だった。

エレンは19歳で死んだから、石碑の数字は854だろう。

あの時からわずか9年後にエレンは死んだのか…

 

わずか9年、しかし、なんと長い9年だったことか。

 

と書いて、私が「進撃の巨人」を読んできた年月もまた9年であったことを思い出し、感無量。

さあ、またいつものコンビニに買いに行こう。すでに発売された最終巻、34巻を。

 

もうこれからは買えないんだね… 

 

編集部後記の通り。この物語を通じて、私たちは「言い表せない感情」を共有することの価値を再確認できたと思う。

 

 

愛とは何だろう?
会えないとわかっていてもなお、会いたいと思う気持ち…だろうか。

エレン… 3年たったけど、まだミカサはエレンを想っているよ…

あと10年くらいは引きずると思うよ!!(笑)

 

今日はここまで。

 

「進撃の巨人」最終話の感想(前半)

今、2/3ほど読み終えたところか? 正確にはわからない。知りたくもない。

映画もなるべく残り時間を気にしないようにする。 本は厚みでわかるからダメだ。

あとどれくらい残ってるかなんて知らない方がいい。人生もしかり。

まあ、人それぞれなんだろうけど。

 

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ミカサ「もう… 行くね」

アルミン「え? …どこに?」

 

ここまで読んだ。ミカサはどこに行くのだろう?

厚紙のおかげで(前回の記事を参照してください。)、このコマの先は目に入っていない。

うん、この辺で一時停止すべきかも。

「一気に読んでしまうのはもったいないから、途中どこかで中断して、”ここまでの感想&ここからの予想”を書こう」という考えを実行に移すことにした。

 

では、ここまでの感想から。

 

まずは驚いた。故郷の街、いつもの川べりに座って普通に話してるエレンとアルミン。

しかも、何だ、この会話の軽さは。

まさかの「物語が初めに戻って、繰り返し」!? それはないと予想したのに、ハズれたのか!? いやいや、それだと完全におかしくなる。破綻する。ありえない。

 

ありえないと思いつつも半信半疑で読んでたのは「それは僕じゃなくてミカサに言うべきだよ あんなでたらめ言って傷つけて…」まで。

次のエレンの「あぁ… そうだよな」でひっかかりを覚え、次のページで確信した。

二人の暗い表情でわかった。あの頃に戻ったわけではないと。

 ほっとしたような、残念なような… なんとも言えない気分。

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二人の暗い表情… 

 

さらに次のページ、二人はいわゆる霊体のような状態で自由に空間を移動していることがわかる。現実の空間かどうかは不明。

「炎の水」って「川のように流れる溶岩」だったのか。なんとなく、海底火山から噴出する熱水をイメージしてたけど、確かに「景色」として見るならそっちだね。

 

「故郷を焼かれ 親も殺され…」
はい、そこまではわかってた。でも、「舌を抜かれた」とは…
くそ!不覚だった。他の人が舌を抜かれるシーンはあったし、考えてみれば確かに奴隷は皆言葉を発していない。気がつくべきだった。

舌を抜かれるコマにはユミルも描かれていたのだから、推して知るべきだった。


ユミルも舌を抜かれた、と思い至らなかった理由は… 

豚を逃がした犯人としてその場の全員がユミルを指さす(言葉を使わずにジェスチャーで示す)という場面を一種象徴的に、彼女が受けたむごい仕打ちーーーー奴隷仲間にさえ疎外されていて濡れ衣を着せられた、という仕打ち(ユミルが犯人だったのにも軽く驚ろかされた)を強調する手法として理解してしまったのと、もう一つは、セリフ書かれてるのはフリッツ王だけで、他は奴隷のみならずとも、どの人物もセリフがないってこと、この2つのせい。
つまり… やっぱりうまいな、作者。またやられてしまったよ。

ああ、気持ちいい。

 

えええええ、舌まで抜かれたのに「愛していた」の?
「愛」なんだろうなって読みは当たってたけど… ユミルが受けた仕打ちが考えていた以上に酷かったので、なんか嬉しくない。むしろ、ユミルってバカじゃんって残念な気がした。DV男に尽くす女じゃん(笑)

 

今、「DV浮気男」って書いて、「浮気」を削除した。
玉座に女たちを侍らせていちゃいちゃするのを「浮気」と書いていいのか自信がない。王が女たちとの間に男女の関係があったどうかは不明なので。
(大抵の人は、「あったに決まってる!」って言うんだろうけど。)

 

究極のパワハラDV男に尽くして二千年余り…ってことか。

ああ、男女のことはわかりません。

 

舌を抜かれていたと知っていれば、ユミルが王を愛していたという読みへの自信は、もう少し揺らいでいたかも。

つくづく… 愛は苦しいね…

 

って思ってたら… 

「愛の苦しみから解放してくれる誰か」が現れたって、それはエレンに決まってるって思ってたのにミカサ!!

そう来るか!

「オレもまだ… ミカサが何をするのかは… わからない」
というエレンのセリフにより、この二人の会話がどの時点なのか大体わかった。大体ね。

続くエレンの「真相」告白… 

「みんなを…オレの大切な仲間を… 生き残れるかどうかもわからないまま 戦いに巻き込んだ」、その理由、目的が明かされる。

そうだったのか… そういうことね、と納得。

で、またビックリ。あの「幼いやつれたベルトルト」が、ここで登場。まさしく予想外。
ダイナの巨人をエレンの家に向かわせたのは、エレンだったってこと!?
…そ、それはないよね、「エレンの家に」じゃなくて「街の方に」だよね。
あるいは「向かわせた」の主語はエレンじゃなくて、ユミルだ… と思いたい…
それか、「始祖の力」か…


しかし、あのアルミンの反応はただごとではないからな~。

「すべて…その結果に行き着くためだけに」、エレンが自分の母親を食わせたのか…

なんという…

 

ここでちょっと迷いが生じる。

この物語を全肯定して酔いしれるべきか。

それとも、不満から目を背けず、是々非々とすべきか。

迷った。大抵のことは51:49で決まる(by 諌山bot)。

前者を取ることにした。人生は楽しもう。

楽しむことにしたから、「お前ら」とサシャが最後の挨拶に来たのも喜ぼう。

 

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グリシャの悲願
最初の息子ジークへの思いも込められているはず…

 

「お前達に止められる結末がわかってなくても オレはこの世のすべてを平らにしてたと思う」
よし、エレン、よくぞ言った! それでこそエレンだ。と喜んでたら…
来た~~、ここで来たね、気になってたグリシャの顔…!

「…何でか わかんねぇけど… やりたかったんだ… どうしても…」

グリシャのセリフ「エレン… お前は自由だ…」

 

で、またニーチェが気になって、竹田青嗣さんの「ニーチェ入門」を読んだりするから、先に進めず。

 

やっぱり、船に来ていたあのカモメはエレンだったか!と、それは嬉しいんだけど、まさか、あの時にエレンとアルミンが話していたとは予想できず…
また気持ちよく「やられた」ね。

 

ミカサはエレンの生首を、まるで赤子を抱くように抱いている…

号泣したのもアルミンだけで、ミカサは泣いていない…
これらもまた、ユミルを「愛の苦しみ」から解放したミカサの、ミカサだからこそ成し得た理由を示唆する描写なんだろうね。

ふと、1巻の「ごめんなさい エレン… 私はもう… 諦めない 死んでしまったらもう…… あなたのことを 思い出すことさえできない」を思い出した。

このセリフはエレンが死んでしまったと思っているミカサの言葉。

そして、そこに描かれているのは、居眠りしているエレンを起こす、あの木の場面だ…

 

最終話のタイトルは「あの丘の木に向かって」……

 

ミカサがユミルを解放、巨人の力がこの世から消え去る。

予想通りだったけど、ジャンが人間に戻って嬉しいはずなんだけど… 嬉しくないね。

悲しいね。エレンの本当の目的は、やっぱり「巨人のいない世界」だった。

自分の母親を巨人に食わせることになろうとも、人類の8割を大虐殺することになろうとも、仲間に狂ったと思われようとも、そこに向かって突き進むしかなかった。

ミカサに「オレは…ガキの頃からずっと ミカサ お前がずっと嫌いだった」と大嘘をついて泣かせても。
第112話を確認して気づいた。「ずっと」を2回も言ってる…

(こういうところも、本当にうまいな~~!)

ああ、悲しすぎる…

 

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「愛」
心優しい少年と元軍国少女
毒親だった母と母思いの息子

エレンとミカサの愛は悲しすぎる。
けど、ガビがファルコ投げ飛ばしたのは面白い。ガビ可愛い。

ガビは巨人のままでいいなんて言ってごめん。そうだよね、未来を担う子供たちを生かさないでどうする。

しかも、ガビは特別な子だ。人々がどうやって憎み合い、殺し合うかを知っている。

自分の中に悪魔がいて、その悪魔はみんなの中にもいて、どうしたらいいのかを知っている。

 

しかし本当に、諌山さんは「愛」の描き方がうまい。(進撃における「恋ばな」について、そのへんもまた別の機会に詳しく書きたい。)

ほんと不思議なんだけどさ、ファルコは何でガビなんかが好きなんだろ?(笑)

 

進撃はライナーの物語じゃん?という感想を私に抱かせた、そのライナーが母親に「ずっと…ごめんね ライナー… これ以上何も…いらなかったんだよ」と言われる。

ああ、どこまでも、しっかりと「マザコン」を描く。すばらしい。
エレンがダイナの巨人を自分の母親に向かわせた、ということを明かしてすぐの、それとは対照的なこの母と息子のシーンだよ…
もちろん、エレンがふつーにマザコンであることは通底音で、最初からずっと主人公が進む動機のひとつとして物語を支え続けてきたのだけど。

 

で、この感想を書き始める直前に読んだところ、「もう… 行くね」「え? …どこに?」の先を読んだ。

ミカサがどこに向かうのかもわかった。あそこか…
やっぱり、あの場所なのか。

 

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「あの丘の木に向かって」

 

 

「このまま ここにいたら  きっと… エレンは きちんと埋葬させてもらえない」というミカサのセリフを読んで、「泣いた赤鬼」という童話を思い出した。

僕と君とが仲良くしていては、村の人たちが怪しむだろう… という手紙を赤鬼に残して、「どこか、遠いところへ」行ってしまった青鬼。

そうか、エレンは青鬼だったのか…

 

「あ、青くん…」とつぶやいて、いつまでもいつまでも泣き続けた赤鬼。

ミカサは… まだ泣けない…

立体起動装置と刃は外した。地面に落ちたガシャリという音が聞こえてきそうだ。

……マフラーはどうするだろう。

エレンの生首を風呂敷みたいにして包むのかと想像してちょっと笑った私は不謹慎か ?

 

さあ、ここからの予想は…

 

うーん、今回はいっか。

最終話を読む前にさんざん自分にお預け食らわせて感想書いたり予想したりするの楽しかったけどね。

正真正銘、これで最後だから… 残りの分はもう予想を立てずに読んじゃおうと思う。

 

今日は午後ずっとキヨさんの「LITTLE NIGHTMARES」実況を視聴してたから、これ書きながら、文章がキヨさんの口調に変換されて脳内に響いてる(笑)

 

 

ーーー最終話の感想(後半)に続くーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終話、読っみま~す! (ネタバレほぼ無し)

第138話まで「最終のおさらい」をして~

その後1週間ほどけかて「最終話を読む前に」という感想文を書いた。

別マガ5月号を発売日の早朝ゲットして以来、はや6週間と3日。


………こ、これで、ようやく最終話(第139話)を読める!

厚紙2枚と、別マガのおまけ「クリアファイル」1枚を用意。

この3枚を縦横無尽に駆使して、一コマずつ、ゆっくりゆっくり、慎重に読むことにする。
いくら心がけていても、夢中になるとつい目が先にいってしまうので。
というか、ページめくった時にはもう目に入っちゃうよね。入らないよう道具を使うしかない。

めんどくさい?
いやいや、この作品描くのどんだけめんどくさいか。
最後の最後くらい、読む人間がこのくらい頑張って当然。

 

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厚紙はグラマシーNYのケーキの箱。

これらの使い勝手(めんどくさいのを私がどんだけ我慢できるか)を検証すべく、

すでに1ページ目は読んだ。

写真は2ページ目。

 

 

9年間の長きにわたるお付き合い。

いよいよ、今回が最後… 

 

これからも何度も読み返すけど!

 

やば、心拍数と体温上がってきた… 

最高に滾るね(笑)

 

「最高に滾るやつをだよ」というハンジさんのセリフ、原文確認しようと思って、5巻を見てわかった。(セリフは見つけられず。ま、後日でいいか。)
やっぱりソニーは、「ユミル… さま…」の巨人だ。同じ巻なのに、なぜ気づかなかったのか。
ストーリー面白すぎてガンガン飛ばしちゃうから。

そうすると、重要な伏線を見過ごしたり、こっそりと仕込まれたお遊びを発見できなかったり、理解が浅かったり、忘れることも多くなる(今までどれだけ自分の記憶力にショックを受けたことか)。

 

もっと慎重に、脳をフル稼働させながら読み進めなきゃダメ。
食事と同じ。ゆっくりよく噛んで、ひと口ずつ、しっかり味わおう。

手間暇をかけ、気持ちを込めて作られたものなら、なおのこと!

 

そして、5巻を確認したおかげで、あらためて気になった。「イルゼの手帳」が「第〇話」ではなく、「特別編」とされているのはなぜか? 

最終話にも絡むような理由なのか? そこまで大きな理由ではないのか?

先日「気になること」として書いた「ユミルが拾われた理由」とも関係がありそうな気がするのだが。

 

まだ他にも何か「漏れ」が残っていそうだけど… 

ご馳走を目の前にこれ以上我慢するのはヤボだろう。

 

では、 

いっきま~す !(^^)!

 

「進撃の巨人」~最終話を読む前に~



第1話からの「おさらい」を終えた。

これで最終話を読むことができる。が、その前に現時点での感想を書いておく。

 

 最終話を読む直前の今、私の頭を占めているのは「エレンの目的は何か?」であり、ついで気になるのが「始祖ユミルの目的」。

あとは、小さいトピックがいくつかと、本日ふと浮かんだ感想など。
その順番で書くとしよう。

 

注意!
Twitterで「単行本派の方、ぜひ!」って書いてしまったけど、単行本派の方は読まないでください。

33巻(6/9発売予定の最終巻は34巻)の「あとの話」のネタバレあります! 

うっかりしてました。申し訳ないです。

 

 

Ⅰ. エレンの目的

 

 

目的については彼自身が「すべてのユミルの民へ」アナウンス済み。(第123話)

それは「オレが生まれ育ったパラディ島の人々を守ること」であり、そのために島外にある命はすべて「駆逐」する、と。

このアナウンスは完全に「右:保守」。同じユミルの民であっても島外にいるなら敵と見なして殺すってんだから「民族主義」ですらない。

 

一方、「この島だけに自由をもたらせばそれでいい そんなケチなこと言う仲間はいないだろう」(第127話)というハンジの考え方は「左:革新」ってことになる。

エルヴィンが自分を騙し仲間を騙して知りたかったのは「世界の真実」。

左はこだわる範囲が広い。

あんまり右だ左だと言いたくないんだけど、便利なのでつい。てへっ。

 

「エレンの目的」にこだわる理由は、エレンが「この島だけに自由をもたらせばそれでいい」なんて「そんなケチなこと」を目的としているようには思えないから。

いや、ちょっと言い直そうか。どうしても、それ以外の、それ以上の理由があると「思いたい」から。

だってさ~、エレンは「主人公」なんだよ。あんまり人気ないとはいえ(笑)

「排外主義者のクズ野郎」で終わってほしくない。

 

第126話のオニャンコポンの言葉を続けよう、「突然無差別に殺されることがどれほど理不尽なことか知ってるはずだろ!? どうしてあんた達がわからないんだ!?」

 

いじめられた子が、いじめる側になったり。
親に虐待された人が、親になって子供を虐待したり。
姑にイビられた女性が、姑になって嫁をイビったり。
遊女として苦労してきた人が、遊郭の女主人になって若い女性から搾取したり。
様々な差別や迫害を受けてきたユダヤ人が、パレスチナ人を迫害したり。

かつての被害者が自分と同じような被害者を作る、ということがなぜ起きるのだろうか。
思いついたケースを5つ挙げただけでも、それぞれ根が深くてげんなりする…

 

「エレンの目的」に戻ろう。

かつて、エレンには「勝手な期待」をして、大きく裏切られた。

その反省をふまえ、できる限り主観を排除して客観的に考えてみよう。

そうすると… エレンが本当に守りたかったものは「この島」ではなく、「お前たち」でさえもない気がしてくる。だって、右と左であんな殺し合いが始まったら、エレンの好きな「お前たち」の命は全く保証されないじゃないか。

 

実際、サシャはエレンのせいで死んだ… サシャが死ぬことは進撃の巨人の「未来を知る力」によっても、わかっていなかったのだろう。
グリシャも言ってたように、この力、まったくビミョーやな。

 

というわけで…
エレンが孤独に死守している(ように見える)もの、それは「自分自身の自由」と「お前たちの自由」。

そして、「始祖ユミルの自由」…


最終話で「ユミルの解放」がなされるとしても、それは、「エレンが自由を求めて突き進んだ結果、それに付随して起きること」に過ぎないのかもしれない。
が、エレンがユミルに言ったことは文字通り「奴隷解放宣言」だ。

「決めるのはお前だ お前が選べ 永久にここにいるのか 終わらせるかだ」(第122話「二千年前の君から」)

 

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ユミルが選んだのは「永久にここにいる」ことではないはずだ。

「待っていたんだろ ずっと 二千年前から 誰かを」

鎖手錠をブッチぎって全力で追いかけ、両腕を血だらけにしながらこのセリフをバック・ハグで言う… 女の子の口説き方としては最高じゃないか!
「何をしている!! ユミル!! 俺の命令に従え!!」「今すぐやれ!! ユミル!!」「俺は 王家の血を引く者だ!!」って怒鳴ったジークは不合格(笑)

 

「主人公の目的」と絡めて、「敵」の話をしよう。

少年漫画の主人公の目的、と言えば、それは大抵「敵をやっつける」ことであり、その敵がいかに魅力的であるかが作品の要。

進撃の魅力のひとつは、まるで「敵役の百貨店」のように豊富な敵役の品ぞろえと、その魅力にある。諌山さんは本当に「人間というもの」への造詣が深い。

 

クズとしか思えない典型的悪役のグロス曹長、そこまでクズではないけど敵対的なキャラクターとしてのフロックやアニ… おっと忘れてはならない、ケニーとジークも、ね。彼らの言うことが、めちゃくちゃ「まっとう」で説得力があったり、すごく人間臭くて親近感わいたり、ウィットに富んでいたりで… 例を挙げたらキリがない。

ガビも他の作品には見られないユニークな敵役だし、偽のフリッツ王、ニック司祭、サネス、マーレの元帥、そのへんの脇役のキャラ設定も見事だった。

というより、こうやってごく一部のキャラを挙げるのは悪手と思えるほど、「キャラづくり」が徹底しているのも進撃の魅力。

 

キャラと言えば、モブキャラの中での一押しは何と言っても「モブ」(笑)
モブは愛称で、モブリットって名前らしい。(第60話「信頼」)
いつか、モブリットが出てるコマを集めて「モブ特集」をやりたいとさえ思ってる。

 

あ、また話がそれた。戻そう。

まあ、とにかく、「王政と兵団、どっちがマシか」問題、「マーレとエルディア、どっちが悪いか」問題… 単純な二項対立に基づく勧善懲悪ではないところが、ストーリーを複雑にし、豊富なキャラの魅力をさらに活かし、読者を楽しませてくれる。
何度でも言おう。諌山さんは人間への造詣が深い。人生何周目?ってくらい深い。

 

「敵は何か?」の答えが変わっていく様もドラマティックに描かれてきた。このへんに注目すれば、ファンタジーというより質の良い社会派サスペンス。

調査兵団「存続の危機」から大逆転のクーデター成功に至るまでは、まるでドキュメンタリーのようだった。

 

主人公エレンにとっての「敵」は、最初は「人を食う巨人」であったが、「壁を破壊した巨人」、「壁の秘密を握っている王政」、「中央憲兵」、「世界」へと移り変わり…

そしてなんと、物語終盤に至っては主人公がエレンからアルミンに移った、と言いたくなるような事態となる。

 

「世界を救うヒーロー」はアルミンたちで、「世界を滅ぼそうとする悪役」がエレン。

「この世界を地獄に変えたのはお前らなんだぞ!! わかってんのか 人殺しが!!」

かつてエレンがライナーたちに向かって投げつけた言葉は(第46話)、そっくりそのままエレンに投げ返されるのだ…

これほどまでに「人類にとって悪とは何か?」を考えさせる作品、なかなか無いだろう。(ここで「亜人」のこともしゃべりたくなってきたが、長くなるのでまた別の機会に。)

 

ヒーローたちが決死の戦いを挑み、過去のヒーローたちの助力も引き出して、人類史上最悪の無差別「大量殺人鬼」エレンはヒロイン・ミカサにより息の根を止められた。

あの場にいたエルディア人はみんな、ジャンもコニーもおバカな巨人になっちまったけど、世界が救われるんだからいいやね。

めでたしめでたし。

 

んなわけない。


私が「エレンの真の目的」であってほしいと願う「ユミルの解放」は、すなわち「巨人のいない世界の実現」をも意味する。

もしそれが叶わないのであれば、「エレンこそが人類唯一の希望」と信じて彼を守るために死んできた大勢の仲間たちが報われないし、エルディア人と世界、両方を救おうとして不真面目なふりをして軽口をたたきながら真面目に黙々と頑張ってきたジークの努力も全て無駄になる。

それではあまりにも虚しい。めでたくない。


それとも、ミュラー長官と彼の言葉を聞いた人々が(マーレ兵たちだけでも)生き残れば以前よりはマシな世界ができる、と期待すべきなのだろうか?
「憎しみ合う時代との決別」「互いを思いやる世界の幕開け」(第134話)を?
いやいや、そう簡単には期待できないよ。キヨミがフロックに言ったことは的を射ている。エレンの思惑通り地鳴らしを完遂させても、それは「ただ世間が狭くなるだけのこと」であり、「相も変わらず同様の殺し合いを繰り返す」だろう。(第128話)

ましてや、第138話までを読む限りでは、エレンの言った「遺恨をなくす」=「地鳴らしの完遂」は成功しなかったわけで、今後ユミルの民と世界の人々との遺恨はますます深まるばかりだろう。

ほら! やっぱりエレンの真の目的は「地鳴らし」を完遂することではないよ。

「地鳴らし」を止めようとする仲間に(ミカサに)自分の息の根を止めてもらい、ニョロニョロ君を消滅させる(無力化する?)こと。

ニョロニョロ君がどう関係するかを具体的に知らないとしても、やはりエレンは自分が生きていてはユミルが解放されないことに気づいていそうだ。

ジークがリヴァイを呼んで自分を殺させたのと同様…

 

そうだよ、エレンの本当の目的はこの世から巨人を一匹残らず駆逐すること。

いちばん最初の目的に還るんだよ!

 

 という期待むなしく、この作品は厳しすぎる結末を迎えるかもしれない。

でもそれって実は現実の世界の有様と何ら変わりないんだよね。何度でも言おう、世界は残酷だ。巨人がいるにしろ、いないにしろ、それは変わらない。

 

言うまでもなく、世界は我々人類だけのものじゃない。人類に殺される側の生物から見れば世界はさらに残酷だし、そもそも生命が誕生して以来ずっと、地球は情け容赦ない競争の場だ。

 その競争から一歩抜け出したはずの人類。情け容赦を持って、知恵を使って、無駄な殺生を極力避けるのが人の人たる所以であるはずが… 

 今回のイスラエルパレスチナの衝突を見ても明らかなように、憎しみによる暴力の連鎖は容易には断ち切れない。

我々は「森から出ようとし続ける」ことしかできないのだろう。おそらく、永遠に。

 

この作品で私がいちばんつらかったのは第128話「裏切り」。「地鳴らし」を止めるために港のフロックたちと戦うところだ。

そう、今や主人公はアルミンで、この場の敵はフロック率いる「イェーガー派」。

さっき「憎しみによる暴力」と言ったけど、憎んでもない相手を殺さないといけないのは、いったい何故!? ダズやサムエルが何をした?

不本意ながら殺さざるをえないという場面は今までにもあったけど、相手が同期や「知ってる顔」であり、かつ目的の実現性・正当性がより不確かであるという点で、つらさはこの場がマックスだろう。

 

第132話でフロックが死んだ時だって本当につらかった…

ハンジさんだって言ったじゃん、「確かに 君の言う通りだよ フロック…」って。

 

もう、地鳴らし、止めなくていいよ!!

 

 と思わず叫んだ私のような読者は、次の瞬間には期待する。これだけのことをやったからには、物語の最後には相応の報いがあるはずだ、地鳴らし止めてよかったね、仲間を裏切って殺した甲斐があったね、そう思わせてくれるはずだ…と。

フロックは息を引き取り、ハンジの言葉は続く。「でも… あきらめられないんだ 今日はダメでも… いつの日か…って」
(死にゆく人に話しかける時、リヴァイもハンジも同じ態度。このトピックも別の機会に。)

 

132話のタイトルは「自由の翼」だ。…しびれる。

 

ハンジの、調査兵団の、何度負けても、どれだけ仲間を失っても、かつての仲間を裏切ってでも、自分が死んでも、あきらめない… 

飽くなき自由への渇望。

果たしてそれらが報われる結末なのだろうか。

 

エレンの真の目的に期待を置くのみ。

 

 

Ⅱ. ユミルの目的

 ~愛、絆、つながり、問いかけ~

 

ついで気になる「ユミルの目的」…

それは何だったのか?


単純に言っちゃえば「愛」? 人と人との「つながり」?
それにしちゃあ、彼女のやってきたことは、誰かを苦しめることだったよなー。

やっぱり、あのニョロニョロと接触したがために自分でもコントロール不可能な強大な力を得てしまい、自身もまたその力の奴隷になってしまったーーーそういうことか。

「人」が「神にも等しい力」を手にしちゃいかん、って話よ。

 

待てよ、でも、巨人が人を殺すのは、食べた結果死なせるのであって、殺そうとは思ってないんだったよね… 何かを食べる、それは生命にとって当然の行為。植物も何かを取り入れる、それも広義の意味での「食べる」に違いない。生命維持に不可欠。

無垢の巨人が人を食べるのは… んんん、なぜなのか… 巨人化しても人を食べなければいいのに。そしたら、ユミルのやってきたことはやっぱ愛だよね、って言えるんだけど… 

 

あ、思いついた。無垢の巨人は、人が好きだから、人を追っかけて、人を自分の中に取り入れちゃうんだ。

究極の愛は、彼我の境をなくすこと。うん、それだ、それ。
やっぱり愛だ!(笑)

ユミルが我が身を呈してフリッツ王を救ったのも、たぶん、愛……なんだろうな。

フリッツとの間には3人の娘ももうけている。あの咄嗟の行動の理由には、「娘たちへの愛」も含まれているのかもしれない…

進撃は、親子愛、兄弟愛が占める比重、かなり大きい。

「愛」という言葉が不適切なら、「誰かを大切に思う気持ち」?

 

今日、Twitterで「愛も絆も結果論なんだと思うよ。ミスチルじゃないけど、気がつくとそこにある。”そこ”は当事者間だけに見える世界(間主観)。取り戻したり目指すものじゃない。」という識見を見つけた。(ミスチルのどの歌かわからないけど)

本当にその通りだと思った。「絆」という文字が大きく描かれた揃いのTシャツに感じる違和感は、そういうことだ。

 

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ユミルだって、「愛ありき」でフリッツを助けたのではないと思うんだよな。咄嗟に前に出てしまった。思わず、動いた。

なぜ動いたのか? 彼女にもわからないだろう。後悔さえしたかもしれない。

なぜだかわからぬが、「気がつくとそうしていた」のだ。

愛も絆も結果論。

 

「気がつくと」フリッツ王を助けていたユミル。倒れて動かぬ彼女に対し、王は言う…「何をしておる 起きよ お前が槍ごときで死なぬことはわかっておる 起きて働け お前はそのために生まれてきたのだ 我が奴隷ユミルよ」

これね… なんてむごい言葉なんだろう。

ユミルがもう二度と目覚めず、たった一人で砂を運び続ける永遠の奴隷となって当然の言葉だよね…

 

ユミルと王との間にも「当事者間だけに見える世界」があったのかもしなれい… 

王の側にもユミルを「彼なりに」大切に思う気持ちがあったのかもしれない。それは、むごい言葉を言い放つ前(のページ)の王の表情に描かれている何かではなかろうか。

愛や絆は「気がつくとそこにある」もの。「結果論」的な、何か…


そうだ、確かにあったのだろう。常にではないけれど、どこかに、おぼろげながらも、確かに。そして今、突如ユミルを失ったかもしれぬと感じた瞬間の王の心の中にも、あったのだ。気がつくとそこにあったのだ…

あったにも関わらず、いや、それに気づいたからこそ、王は自ら放った冷酷な言葉によって、なかったことにしてしまったけどね。

 

直截的に描かれていることに限っても、王は「それなりに」ユミルを大切にしていたのがわかる。

自分の座る玉座のすぐ傍らにユミルと娘たちを置いていた。ユミルを「妃」の玉座に座らせる、なんてことはしない。パイプ椅子さえ用意してないが、少なくとも自分の「すぐそば」の「同じ高さ」に立つことを許していた。「奴隷」に許される立ち位置としては破格だろう。
まあ、常にそうではなかったとも考えられるし、ボディーガードとして使うための位置と解釈できなくもないわけだが。

 

王は死んだユミルの体を娘たちに食わせた。
これは、我々現代人の感覚で言えば、「むごたらしい」こと以外の何ものでもないが、当時であればそうひどいことではなかったかもしれない。

「現代」の日本においても地方によっては火葬後の骨を近親者が食べる習慣があった、と知った時は全くもって驚いたが… かけがえのない大切な人の遺体を食す、これもまた「愛」のひとつらしい。

(私の父が亡くなったあと、異母妹は遺骨で作った灰をペンダントにして肌身離さず身に着けている。口数少ない彼女が日頃から「お父さんは世界一かっこいい」と言っていたのと無関係ではなさそうだ。)

 

カニバリズムまで描くとは… 作者畏るべし。

ん? 巨人は人だった。人が人を食ってた。だから、最初っからこの作品はカニバリズムを描いた作品、ってことになるね。なら、今更驚くこともないか。しかも、生きたまま食うんだから。

 

ユミルは何かへの深い執着があったのか(あるいはニョロニョロ君との物理的なつながりゆえ?)、死後も巨人の力に囚われ、自由になれなかった。粘土をこねるように砂をこね続け、「果てしない時間を費やして」、子々孫々の代まで巨人を作り続けた。

あそこにいて巨人を作り続けている限り、彼女は一人ではないと感じられたのかもしれない。「道」によって「すべてのユミルの民」とつながっているのだから…
どこかで誰かが望む限り、彼女は巨人を作り続けた。

 

エレンの言った通り、自分を自由にしてくれる誰かを待っていたのは確かだろうが、彼女は自分の子孫と、つまりは自分の「家族」と、つながっていたかったのかもしれない。ユミルにとっての「家族」とは… 3人の娘と、そして、その父親であるフリッツ王。

「血縁」は客観的事実である一方、「家族」ってのは実はずいぶん「間主観的」なものなんだよね~。

(「家族」と言えば、この作品には婚姻や男女の関係の描き方に特徴が感じられる。このトピック、また別の機会に。)

 

エレンが「オレは… お前の何だ?」と質問したのも(第123話)、ミカサが「……あ… あなたは… 家族…」と答えたのも、間主観性に深く関わる話。

ミカサは「あなたは、私がこの世でもっとも愛する人」と答えるべきだったのか?

そう答えることができないのがミカサであり、そしてミカサとエレンという世にも稀な特別な二人だからこその「間主観」問題。

 

この世の中、「愛」も「家族」も陳腐な言葉になり果てた感があるが、「家族」と答える方が愛情表現としてまだマシな気がする。

「いい人」ってのがアルミンの言う通り「自分にとって都合の良い人」だとすれば、「好きな人」ってのは「自分にとって都合の良いところが多い人」で…

愛する人」は「自分にとって都合の良いところがめっちゃ多い人」だよね。

 

 例えば、「無償の愛」ってどこにあるの? 

「無償の愛」の代表とされる「親の愛」なんて、実際にはエゴだらけですけど。
ああ、愛情表現の話だった。

「愛してる」よりも「今夜は月がきれいだね」の方が好きだな、私は。

いや、言葉は要らない。半世紀以上生きてると実存主義になる。

 

この場面、ミカサには実に合計12個の「…」が使われている。そして、言葉とは言い難い、3個の「え?」と1個の「…あ」。

言葉にならないもの、それこそが真実なり実態なりを表すもの。

あの時ミカサが語りえなかったもの、この作品を読んできた私たちは知っている。

すべてを知っているのである。

 

エレン… きみだって知っていたはずだ。

 

とすれば、あれはきみの質問ではなく… 愛の告白だったのか。
少なくとも、「めちゃめちゃ切実な問いかけ」だったね… 私にはわかるよ。

わからなかったのはミカサだけ。

 

そのミカサも、わかった。わかったから息の根を止めた。エレンの望み通りに。

 

さて…

いかに私が勝手な憶測を繰り広げようとも、11年7か月かけて描かれてきた物語の結末はもうすでにリビングのソファの上に置いてある。別マガ5月号の中に。

 「エレンの目的、ユミルの目的は何だったのか?」という問いは、この辺で置くとしよう。

 

 

Ⅲ . 気になること + 所感

 

● 第65話、ロッド・レイスがヒストリアに、「まだ…話してないことがある… 私が…巨人になるわけには いかないんだ… 理由がある…」と言った、その理由とは?


ただ自分がクズであることを否定したいだけなのか、それともしかるべき「理由」が本当にあるのか、わりと長いあいだ気になっていた。

もうどうでもいいや、気にしない、といったん置いた疑問だったが、どうやら私が思っていた以上に、この作品の重要なところにヒストリアが絡んでいるので… ここに来て再浮上。

 

床にこぼれた液を舐めただけにも関わらず(あるいは、それゆえ!?)ロッドの巨人はあんなに馬鹿デカい巨人だった。ロッドの言った「理由」って、それと関係あるのか、ないのか?

注射の中身は、ロッド自らが選んだ「強力な巨人」「最も戦いに向いた巨人」になれるはずの液体。なのに、奇行種の「できそこない」になった。それもまた量が不足していたからなのか?

ロッドは、自分が巨人化すれば「できそこない」になる、とか、馬鹿デカい巨人になって地下空間を破壊してしまうとかわかっていたのだろうか?

第87話でグロス曹長が言ったことが真実なら、無垢の巨人の大きさは注射時にカンタンに「調整」可能らしい。 液体の量で調整するのか?

それとも、本当は調整できない? 

ま、これは些末な疑問。ロッドが真のクズかどうかも(笑)

 

 

● 第89話、ユミル(104期生のユミル)を拾った男は、なぜ彼女を「ユミル」と名付けたのか?


ユミルが彷徨ってたのは60年くらいなので、大陸はとっくにマーレの支配下だよね。なのに、なぜ、あの男は道端の浮浪児を崇め奉ったのか? ユミルの民が「悪魔」であることは、当時すでに常識だったろうに、いったいなぜ?ーーーーと考えるとよけいに、彼女を拾うしかるべき理由があったように思えて、それは何だったのか気になってくる。

ユミルの手紙では、わざと(ユミルの意思か作者の意思か、それは不明だけど)その辺がボカされた気がする。

ユミルは、ストーリーの比較的早い段階で(単行本だと12巻だっけ? えっと…「女神様もそんなに悪い気分じゃないね」は第50話だ)消えたキャラなので、みんな忘れてたかもしれないが(実は私も忘れかけていた)、実はめちゃくちゃ重要なキャラだ。そして、めちゃくちゃ魅力的だ。賢くて、馬鹿で、「里帰りのお土産」になってやったユミル… 本物の女神だと思う。

最終話で、彼女に絡んだ何かが…ある?

 

ミカサがサロメなら、ユミルはイエスだろう。

と言うのはなぜか?を含め、ユミルについてはまた別の機会に。

 

 

● ヒストリアから生まれてくる子供

 

私はヒストリアが好きではない。それでバイアスがかかって、よけいにエレンの行動が腑に落ちなかったのだろう。おさらいしてみてわかった。

エレンは、すごくヒストリアを大切に思っている。他の仲間以上に、と言ってもいいかもしれない。その理由は作品を読めばわかるので割愛する。

今までだって十分わかっていたのに、心のどこかで認めたくないと思っていたらしい。

ヒストリアの産む赤子は、さて、ただの赤子なのか。それとも…

ただの赤子だった場合は、つまり、「巨人のいない世界が訪れた」、その象徴として描かれるだろうと予想している。

 


● 複数の巨人の力を持つ者が死んだ場合、力が継承される先の赤子は一人なのか、それとも複数なのか?


ジークはエレンor始祖ユミルによって「とりこまれ」ていたらしいが、アルミンと同様に「道」から脱出、その後にリヴァイに切られたから、死んだとすれば「獣の巨人」の力は誰かユミルの赤子に継承されるだろう。(死んだのだろう、「地鳴らし」が止まったからね。)

エレンの場合は… 始祖と進撃と戦槌、3つ持ってる。

それぞれの力は、3人の赤子に継承されるのだろうか? それとも1人に!?

という疑問は以前からあって、ずっと気になっていた。 

 

気になる赤子が、もう一人いる。地鳴らしに追い詰められ、断崖絶壁から落下する直前に女性が託した子。赤子だけはみんなにリレーされて助かった。

あの子が、追い詰められた人類にとっての「希望」や「思いやり」の象徴として描かれているのはわかるが、それ以外の何か重要な役割を担ってたりするのだろうか?
巨人の力を継承する、とか? 

今までは「生まれる前、つまり母親の胎内にいる時に継承する」と勝手に思い込んでいたが、そうとは限らないと気づいた。赤子であるなら、すでに生まれていてもOKなのかも。

 

もしも最終話で「巨人のいない世界」が実現されるのならば、このへんの疑問や憶測はすべてムダに終わる(笑)

 

 

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● ルイーズがエレンに話したことは?

 

ジークとの接触を果たした直後(第120話)、エレンは様々な記憶がフラッシュバック。その中にルイーズの顔がわりと大きめに出てくる。

そして、もう一か所の記憶フラッシュバック、130話の「すべては… この先にある」というエレンの独白部分に描かれた小さい顔… あれも、ルイーズかもしれないと思う。
(ヒストリアにも少し似てるんだけど)

 

ルイーズはエレンと会話した時に、ミカサのことについて話したはず。それは最終話で明かされるくらいだから(と決めてかかる)、きっと重要な内容で…

ミカサがマフラーを返してもらいに行った時、もっとルイーズに優しく接していれば… 話してくれたかもしれないのにね。ミカサはやっぱりコワイ。

 

そんな怖い女のこと、あきらめずにずーーっと好きなジャン、最高に好き!(笑)

「俺は訓練兵の時から奴は危険だと言ってきた… エレンは皆を地獄に導く クソ野郎だ そんなクソ野郎を… 俺は…妬んだ かっこよかったから」って言うジャン、かっこいい。

 ああ、やっぱり男女の両想いなんてつまんねー。片思い、最高。

ガッキーがホッキーになる? 

エレンとミカサも、けっしてフツーに結ばれないところがいいんだよ。

 

 

● やつれた幼いベルトルト、丸首シャツの若いグリシャ

 

さっきと同じ第130話の同じコマで、アルミンの下のすごく小さいのはベルトルトだよね。

幼い気が… それに、巨人化の後っぽい、やつれた顔。

その頃のベルトルト、エレンは見たことないはずだけど… 例の「誰の記憶だろう」ってやつで、何かあるんだろうな。

 

 

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お、そうだ、その前のページの豚の下のグリシャも気になる。

エレンが「どこからが始まりだろう」と自問自答をしている場面で… 「どこでもいい」と書いてあるコマなんだけど。

服も表情もこれまで見た覚えがない、若い頃のグリシャだ。ちょっと悲し気な? 感極まってるような? 涙目っぽい。
子供たちにも聞いてみたけど、いつのグリシャかわからないとのこと。

最終話でわかるのかもしれない。

 

この漫画、今まで無駄なコマはひとつもなかった。(偽予告ミカサ・アルミンのコマは重要な読者サービス。)
この期に及んで無駄なコマがあるわけない。

 

 

● 海のシーンを思い浮かべたアルミンが考えていたこと

第118話、エレンの真意についてのアルミンとミカサの会話。

「私のことが嫌いって… 何でそんなことエレンは言うの?」とミカサに聞かれ、アルミンは「…… それは…」と言葉に詰まり、みんなで初めて海を見た時のエレンの後ろ姿を思い浮かべる。その後のセリフは「…まさか」。

あの時、アルミンの脳裏に浮かんだことは、いったい何だったのか?

これはかなり重要なことに違いない。

 

 

● ニョロニョロに巨人にされた皆さんは、人間に戻れるのか?

 

巨人化する前、ジャンとコニーが肩を組んで話す後ろ姿… 最高だった。

二人ともあのまま(ライナーに嚙みついてたけど 笑)巨人になったままなのか!?

ガビやカリナは巨人のままでいいけど、って思っちゃうところが、まあ私が普通の人間であることを表してるな。

人間に戻らないのだろうか?

戻ったら… それ「進撃の巨人」じゃなくなっちゃうか?

諌山さん、そういうのを「読者への裏切り」って言う人だよね?

 

人間に戻るもよし、戻らぬもよし。

これまで見せてくれた戦場での惚れ惚れするようなジャンの雄姿…

「テメェは、俺の母ちゃんか!?」などの名セリフ、「服なんかどうでもいいだろうが!うらやましい!」と流した悔し涙、セントラル一等地の家で上等の酒を飲みながら黒髪の妻子を見守る妄想、「弱い人の気持ちがよくわかる」(マルコ評)普通の人間としての深い優しさ。

それらを胸に刻み…

生涯何度でもおさらいするのみ。

  

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後のことは仲間に託す
それが調査兵団の最期…
このシーンのジャンとコニー、イケメンすぎるよ… (T_T)


 

● 壁を作っていた数千体の超大型巨人について

 

彼らもいわゆる「無垢の巨人」なのだろうか。ならば、自分の意志ではなく、第145代フリッツ王によって巨人化させられたわけで、もともとは数千人の人間。

同期のユミルは巨人として彷徨っていた60年ぐらいの間は「終わらない悪夢を見てるようだったよ…」と言っていたし、アニも水晶の中で「4年間… ぼんやりと夢を見ているようだった…」のだから、彼らも100年以上壁の中で微動だにできない間、ぼんやりと意識だけはあったのだろうか? 

 

巨人化後どのくらい人間性が残っているかは個人差が大きい。

ユミルと共に縄に繋がれた後、一緒に巨人化された女性。(第89話)

その女性の巨人はユミルと似た兵士イルゼをユミルだと認識したばかりか、敬意を表す姿勢を取り、はっきりと言葉を話した。(第5巻「特別編」)

あの巨人、顔がソニーに似てる気がする。大きさも合致するし…(第20話) ソニーなの!?

 

さらに横道にそれるが、ダイナの巨人もベルトルトを無視して街の中へ入っていった。「どんな姿になっても…あなたを探し出すから」と言った、その最後の決意通りグリシャを探してだろうか。

グリシャの家に行ってカルラを食ったのも、もう少しでエレンを食うところだった(第50話)のも単なる偶然ではないのだ。カルラとエレンを食おうとしたのは、何も嫉妬からではなく(?)グリシャとの「つながり」がそうさせたのだろう。

そうだ、始祖ユミルが欲したのもきっと、人との「つながり」。


壁の役割を担わされた巨人のことを考えてて、一生「扉」の役割を務める蟻のことを思い出した。役割というか、もう「扉」自体。蟻自身が扉そのもの。

「扉」以外にもまだ例がある。仲間から蜜を口移しで受け取った蟻はどんどん腹部が膨れ上がり巨大化する。その蟻は他の活動をしない「貯蔵タンク」になるのだ。(この蟻の巣をみつけた人間は喜んで食うわけだがー 笑)

研究者の話だと、扉も貯蔵タンクも、それになる蟻は優れた個体で、群れの中では「花形」らしい。

「選ばれし蟻」として一生扉だったりタンクだったりするか、それとも平凡な蟻か、と問われたら… そりゃ平凡な方がいいに決まってる。

 自由がいい。私は人間だから…ね。

 

ユミルの解放は、彼ら数千人の「壁にされた人間」たちの解放でもある。

解放されれば、消えるのか、それとも普通の人間に戻るのか!?

100年以上壁の中に閉じ込められ、やっと散歩できるようになったと思ったら今度は世界中の人間を虫けらのように踏みつぶして回る、っていう悪夢… 

海を泳いでるのは面白かった! まるで集団遠泳。

って楽し気に書いてると「悪夢」って雰囲気薄れるじゃん (笑)

 

長い悪夢から解放された彼らが元の人間に戻ることを期待しよう。

「すべての巨人化」が解かれ、ジャンとコニーたちも人間に戻れますように。

 

 

● 最後の疑問

 

これは、言わずもがな。

子供の頃、エレンとミカサが薪を拾いに行って、眠ってしまったエレンをミカサが起こす、あのシーンにちりばめられた伏線が、最終話でどう回収されるのか。
それとも、第138話の、あのエレンとミカサですでに回収済みなのか。
いやいや、まだ完全に回収されてないぞ。と言いたい、期待する読者。

 

物語が初めに戻るという、まあよくある文学とかの形式が頭によぎったついでに言えば(この作品がそうであるとは思っていない、それじゃあつまらない)、諌山さんはニーチェ永劫回帰とか、それがどう批判・否定されたか、それでも今なおどういう意味を持っているのかとか、いろいろ勉強して作品に用いたんじゃないかな~って思う。

 

ニーチェみたいに考えてると狂気の力が増してくるんだろうけど、諌山さんは「普通の人間の精神」を持ってて、そこは失わない人のような気がする。狂人じゃなくて強靭(笑)。

そういう感想を持たせるところがまた稀代の天才。並外れた努力も含めて。

 



● ふと浮かんだ感想、など

 

もうずいぶん前の話になるが、「ハリー・ポッター」シリーズも進撃と同じように、ほぼ9年で全作品を読み終えた。最後の方を読みながら考えていたことは、「これって結局のところ、ハリー・ポッターの話というよりはスネイプという男の物語だったな」ということだった。

実は、それとすごくよく似た感覚で、以前「これはグリシャの物語だ」という感想を持ったことがある。

その時に妙な既視感を覚えたのだが、その正体は、映画「スター・ウォーズ」だった。ルークじゃなくて、アナキンという哀れな男の物語だったんだなー、と思ったのよね。(「エピソード3」までの感想。)

息子の話だと思ってたけど、実はその父親から物語は始まっていた、というところが同じだったわけ。

 
そして今… 「この作品は、ライナーの物語だったんじゃないか?」と感じている。

 

と書いて気づく。ああ、私は「哀れな男」の物語が好きなのかもしれない。
以前書いたケニー、彼と同様に好きなのはキースの話だ。キースは大好きな映画「アマデウス」のサリエリと似ている… 自分は特別だと思っていたのに、天才に出会って劣等感からボロボロになるところが。


キースと、それからエレンの母カルラのこと。
男の嫉妬は醜い?って話と、男ってマザコンよねって話。

そのへんはまたの機会に~。

 

「進撃の巨人」 第138話までの感想 ~ノーベル賞と「世界の現実」と深い森~

進撃の巨人」はノーベル平和賞ノーベル文学賞に値する作品である。

とかいう、ちょっと大きな話は、最終話を読んでから発言しようと思っていた。
最終話を読んでないうちはまだ言っちゃいかん、と自粛。

でも、この世は何が起こるかわからないし、人はいつ死ぬかわからない。

そう思うと、早く言いたくなった。


もうひとつの理由は、単行本1巻から読み直してあらためて、この作品のすごさを思い知らされたから。
最終話を読んだからって、この気持ちが変わることはないだろう。
どんな結末であろうと私の評価は変わらない。

評価、と言えばこれまでに2回ほどガッカリしたことがある。

1度目は、「フクロウ」ことエレン・クルーガーが、継承前のグリシャに言った「ミカサやアルミン、みんなを救いたいなら」という台詞。(第89話「会議」)これによってファンタジー要素が色濃くなった。

もちろん巨人がいること自体「非現実的」だし、巨人が「何もないところから突然現れる」という事実(物語上の事実)が判明した時点でもうガッツリ「ファンタジー」なのだが。

この台詞と、それに続く「…さぁ わからない 誰の記憶だろう?」により「時間の不可逆性」を否定するという設定が確定、ショックだった。

 

何事も「程度問題」であるから、巨人の継承者は前の継承者の記憶(の一部)も引き継ぐという設定は許容できていたのだが… 

「未来の継承者」の記憶を知ることができるなんて。それは許容しがたい。

 

2度目は、エレンとジークがグリシャの記憶を彷徨うあたり。

二人は「接触」を果たして「道」に来ましたからね~。そりゃ、過去にも行けちゃうんです。過去の人物にも彼らが見えちゃったりするんです。


グリシャに抱きしめられて涙するジーク… 

それは長年にわたり私が心に描いていたシーン。ジーク・ファンの私にとっては、「叶えられるべくもない悲願」のはずだった。

だから、あのシーンが見れたことには感謝しよう。

 

よかったね、ジーク。もう思い残すことはないね…

と、心の準備をしておいて正解だったのか? 

ジークは今度こそ本当に死んでしまったのか? 

クサヴァーさんとも再会できたから、やっぱ今度こそダメか?

 

ところで、クサヴァーさんの名前って…「草葉の陰から」に由来してるよね。

おまけにクサヴァーさんの巨人が羊だから「草場」か? 

フクロウの巨人がまたプロレス技(アルゼンチンなんとか)かけてるのも草ww

 

許容できないのは、エレンがグリシャの過去の行動に干渉したこと。

グリシャは始祖強奪を思いとどまった。なのにエレンが煽りに煽って、何かはわからないが「未来の記憶」?を見せたことにより、目的完遂した…

エレンはジークに言った、「あんたがオレを親父の記憶に連れ込んだおかげで今の道がある」と。
いま風に言えば、狙い通りの「世界線」になった、ってところか。

 

うーん、やはりここまでくると、許容範囲外だ。

 

しかし、書いたおかげで考えが一層ハッキリした。

エレンがグリシャに見せた記憶って、やっぱり単純に「地ならしによって平らにされた世界」だけではなさそう。

そうでなければ、グリシャは動かないだろう。

自分が頑張ってレイス一家を虐殺すれば、それから十年もたたないうちに息子は人類始まって以来最悪の無差別大量虐殺者となるのだ。

他でもないあのグリシャが、それで良しとするのか?

あの時点で、彼は既に十分すぎるほど知っている… 求めた自由は手に入らず、それどころか仲間も家族もすべてを失った男の途方もない無念を。

そのグリシャが、だ。エレンが見せた何かによって動かされたのだ。自分が始めた物語を途中でやめるな、死んだ妹や妻や仲間に報いるために進み続けろ、と言われて、再び奮い立ったのだ。

 

歴代の「進撃の巨人」継承者が「誰にも従わなかった」のは、自身の自由のためでもなく、王家のためでも、ユミルの民のためでも、エルディア復権のためでもなく、もっと途方もない、壮大な理想の世界を実現するため。


……であると思いたい。

じゃあ、グリシャがジークに「エレンを止めてくれ」と言ったのは何故?

理想の世界の実現が確約されたものではないこと、及び、エレン自身を含め犠牲があまりにも大きすぎること、その2つが理由だと思う。
エレンだって、自身の未来の記憶を見て以来、それに向かって突き進むことへの葛藤を常に抱えていた。

その葛藤がどれだけ大きかったかは作品読めばわかるって話。

ついでに言えば、その葛藤の深さに関わらず(あるいは、それゆえにか)、ミカサの答えが「家族」という言葉以外の何かだったとしても、エレンは突き進むことを選んだと思う。

理由は、「オレがこの世に生まれてきたからだ」。

 

うん、ジャンの言う通りだ。エレンはカッコいい。

 

そして… みんなが言う通り、バカだ。

エレンがどうしようが、巨人がいようがいまいが、この世界は残酷で、そして美しいのだから。

だから、エレンがミカサとふたりで逃げて残りの4年間を穏やかに暮らす選択をしても、誰も文句は言わないよ。

いや、誰もっていうか、読者は文句言わないよ。文句なし、だよ。

そして、読者に文句なしの結末を読ませたくないのが諌山さんなんだろうね。うん。

 

138話までで既に、十二分に読者の期待を裏切る容赦ない残酷ぶり。
最終話では、これ以上の「酷」が待っているのだろうか。
そう考えると、最終話を読みたいんだか、読みたくないんだか、わからなくなってきた(笑)

あ、これは既視感。この作品読む時はいつだって、こういう気持ちになった。

続きを読みたい、けど、読みたくない。

残酷だから、って理由だけじゃない。あまりに面白くて先を読むのがもったいない、そう思うことも多かった。

まあ、もちろん読みたい。読まずにはいられない。

ので、こうやって怠惰な自分の尻を叩きつつ「最終話を読む前の感想」を書いてます。

最終話を読んだ私には書けない感想を。

 

ああ、そういう意味では、最終話を読んだあとに「は!? ノーベル賞に値する作品!? 前言撤回!!!」ってなるのもアリか。 

それが現実というものだ。

リヴァイが言ったように、先のことは誰にもわからない。

 

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「みんなの中に悪魔がいるから… 世界はこうなっちまったんだ」  

※「カヤの中」は「蚊帳の中」ではありません(笑)


アニの言う通り、「普通の人間」と「正しい人間」とは違う。

 

世界は残酷で、そして美しい。


仲間とも戦わねばならない理由… それは、「世界は残酷だから」

 

そして、

 

森から出るんだ

出られなくても…

出ようとし続けるんだ…

 

私は、諌山さんが描いたのは「世界の現実」だと思ってる。

友人は、「ただでさえつらいことの多い世の中なのに、漫画でもつらいことばっかり読むのは嫌だな」と言った。

漫画に求めるものは人によって異なる。私は、普通の少年漫画とは明らかに一線を画すからこそ、「進撃の巨人」が好きだ。

 

だから、ファンタジー要素の比重が大きくなるのは残念に思えた。 

しかし、一切のファンタジー要素を排除してしまったら、それはもうドキュメンタリーで、多くの人を引き付けることが難しいのもわかる。

自分が描きたいことを描くのか?人々のニーズに合わせるのか?ーーーー二者択一ではなく、その両方を目指すべき。これまた諫山botで読んだ話。

 

「時間の不可逆性」に反する設定。
それが、私にとって大きながっかりポイントであることに違いないが、それをさっ引いてもなお、私の「進撃の巨人」に対する評価はノーベル賞以下には下がりはしない。

というか、ほんと私個人のがっかりポイントなんかどうでもよく、むしろノーベル賞もらうくらいの作品にはすべからくファンタジー要素が不可欠なのである。

 

人はパンのみにして生くるにあらず。

 人類はファンタジーなしには生きられらない。

 

オバマさんが平和賞もらったのだってさ~、あれはファンタジーなんだよな。なんかもう「※イメージです」みたいな。

進撃の巨人」は「実際になされた仕事」なわけだし、そういう尺度じゃなくても人類への貢献度はオバマさんより断然上!


ネットの世界中の人々の書き込みを見てほしい。東洋のはずれの島国で、日本語というマイナー言語。そのハンデで、この反響。

「世界の人々に与えた深い感銘」は、川端康成の作品以上でしょう。漫画は文学ではないと言う御仁はクソをくらっていただきたい。

 

というわけで、平和賞、文学賞、どっちでもいい。

この漫画にノーベル賞ください。

 

たった今、気づいた。

別冊少年マガジン5月号に、「世界累計1億部突破! ハリウッド映画化決定のダークファンタジー!!」とあるのを。

そっか、本当に「ファンタジー」だったんだね、これ…

 

ハリウッド映画化… がっつり予想できたとはいえ、ね。これだけの作品をいったい何時間に収納するって言うんだろ? 

映画にできるくらいなら、諫山さんは11年7ヶ月もかけて描かないよ。

botでは、「読者の数だけ読み方があって、それ全部正解」ってなこと言ってたけどさー。

第12話「偶像」でのピクシス司令官とエレンの会話、あれは「ハリウッド映画」(ズバリでなくとも、それっぽいもの全般)に対する痛烈な批判だろうと思えて愉快だった。

 

なのに… 

まさか「フランダースの犬」みたいにハッピーエンドにしたり、「マーサの幸せレシピ」みたいに顔と髭の濃い黒髪のイタリア男を金髪碧眼さわやかイケメンにしたりしないでしょうね。

ああああ、リヴァイを長身にしたり…

 もう、残念な映画になるっていう予感しかない。

 

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人類が一丸となる時! の「言い伝え」

 

 

今の私には、ファンタジーよりも現実の方がダーク。
人の意識なんてフェイクで、人と人との関係なんてそれこそファンタジーなのに、どうしてこうも人は我彼の思いやら「人間関係」とやらに振り回されるのか…

ピクシスの言う「理(ことわり)の違う者同士」の争いは、たとえ家族であっても絶えることがない。

私は、いつも同じところをぐるぐるまわっている…

 

この深い森から…
出られなくても、出ようとし続ける… それしかないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「進撃の巨人」にノーベル賞を!! ~第69話の感想(続き)と最終話の予想~

まずは、第69話「友人」の感想の続き。
アッカーマンつながりで、ケニー、リヴァイ、ミカサのこと。
そんで、第138話のミカサ&エレンから、そのまま最終話の予想へ。


ってな感じでいきます。
(以下、青い文字の部分は先日のブログで書いた自分用のメモ)

 


リヴァイの母親とミカサの母親の違い。

リヴァイの母親は、アッカーマンを名乗らず、息子にも伝えなかった。

一方、ミカサの母親は、一族の誇りを忘れず次世代に伝えよ、と娘の腕にも刻印を施した。

「アッカーマン」と「東洋人」の違いがあるから、いっしょくたに論じちゃいけないけど。

ちょっと意地悪く言えば、リヴァイの母親は地下街の孤独な売春婦であるのに対し、ミカサの母親は愛する夫と娘を得て不便な山暮らしながらも家族で幸せに暮らしていた、その違いが大きいと思う。

 

リヴァイは「客の子」だ… 

父親が誰か、クシェルはわかっていたのだろうか?
もしその客に対して特別な感情があればなおのこと、「アッカーマン」の運命がもたらした皮肉(売春婦になったからこそ、その男とめぐり会えた)と不幸を呪っただろう。

生むと言って聞かなかったのだから特別な感情があったのかもしれない。

と思ったそばから、「みんな何かの奴隷」というケニーの言葉を思い出し、クシェルもまた誰の子かさえわからぬ小さな命に生きる意味を見いださざるを得なかった哀れな奴隷だったのか、とも思えてくる。

 

 

アッカーマンは純粋で一途で優しい。(つおい!)

ケニー、リヴァイ、二人とも決して目的を見誤ることなく、目的完遂のために一直線に非情に突き進む。そして任侠の親分よろしく、部下への思いは熱い。

リヴァイなんか、口汚い言葉とは裏腹に何でこんなに優しいのかって思うくらいハートフル。

ケニーだって、ああ見えて実は部下思いだった。でないと、あんなに優秀で現実主義的な憲兵の若者たちが、実現可能かどうかあやしい「この世を盤上ごとひっくり返す」なんて壮大な「夢」を語る変わり者についていかないと思う。

それに何より妹思いだったしね… 第97話の台詞、感動。

ケニーが最期の時になってようやくリヴァイに伝えた「俺は人の親にはなれねぇよ」… あれ読んじゃうともう、自分なんか本当に親になるべきじゃなかったと思えてくる。

すみません。

私を許してくれ、子供たちよ… いや、許してもらおうなんて虫が良すぎるね。もうすべては取り返しがつかない…

ミカサも同じ。

ミカサも同様。ひたすら純粋にエレンが好きで、エレンを守るという目的のため一途。一途すぎてコワイ。エレンの気持ちを見誤ったり、エレン以外の人には情け容赦なかったりする。

でね、やっぱり優しいんだな。エレンの首を斬り落としたのは深い優しさゆえ。

他の誰でもないミカサの手で息の根を止めて欲しいと願っているエレンの思いに気づいたから。

エレンがどこにいるかわかったのも、そういうことだよね…


ミカサはサロメサロメよりすごい。

ググってみたら、聖書のサロメはヨカナーンを好きだったわけじゃないらしい。でも、オペラとか、その後の文学や漫画に出てくるサロメにとって、ヨカナーンは「惚れた男」。

自分の思い通りにならない男を別の男(自分の魅力にメロメロになった権力者であり義父でもある王で、実際に手を下したのはその部下)に殺させて、その生首に口づけるほどの執着ぶり。

ミカサは自分で手にかけた。

サロメのヨカナーンに対する狂おしい愛、それ以上の愛がなければできないこと。


ユミルの微笑み。なんであのコマにユミル描いたん?

第138話、いちばん最後のコマ。

ミカサとエレンの純愛、そのクライマックスのシーンだ。

あそこにユミル描く必要、フツーはない。なぜユミルを同じコマに入れたのか?
ユミルはなぜ微笑んでいるのか? まるでモナリザ

「フツーは要らない」何かが描かれている時、それは伏線に決まっている!

この作品に、無駄なコマ、無駄な台詞、無駄な描写は一切ない。無駄な句点、「…」すらも。
ウケ狙いは別。ってか、それは無駄どころか作品全体において重要な役割を担っている。料理におけるスパイス。


自由、だよ、自由。

ユミルほどの奴隷はおらん。永遠に奴隷やん。
エレンが目指したのはユミルの解放なんちゃう?

エレンが死ぬ → ニョロニョロが消滅する → ユミルの解放

これはエレン自身が願ったことであり(「ミカサの手によって死ぬ」ことを含め)、ユミルはそれが今目の前で成し遂げられたことを祝福して微笑んでいる。
という解釈、どうですかね?

エレンが求めてやまなかった「自由」とは、言うまでもなく己のみがやりたい放題の自由ではなく、己と同様他者に対しても自由であることを保障するものだ、と思いたい。

はい、エレンの目的は、「奴隷ユミル」の解放!   


「外の世界に人類がいたことにがっかりした」のは本当やろうけど、それでも、エレンはずーーっと「巨人がいない世界」にしたかったんちゃうの!?

そりゃ気持ちいいでしょ、圧倒的数の強大な力を従えて、まっさらに踏みつぶされた世界の地平を、あれだけ高い所から、風を感じながら眺めるのは。

でも、それだけじゃないはず。

あの時少年エレンが見ていたのがどんな景色なのか、それは描かれていないのだから。

あの時、エレンは「なぁ、アルミン」と、そばにいないアルミンに思わず呼びかけた。

そこだ、そこ。単に「地ならしによって踏みつぶされた世界」という景色であれば、いくら無邪気な少年の姿のエレンであっても、「なぁ、アルミン」と、アルミンに「共視・共感」を求めたりしないのではなかろうか?
エレンは、そこまで「無邪気な」クズなのか?
実を言えば、最近クズだと思ってたんだけどさ~、また最初から読み直してみると、クズじゃない気が…笑

 

少年エレンとアルミンが「道」で遭遇したその直後、船上でのアルミンとアニとの会話からも、「大勢の人々が踏みつぶされた悪夢のような世界」ではない何か… そこには何かしら「いいもの」が存在するのではないか、と期待される。

どうしても期待してしまう、というのが正確な表現かもしれない。


ああ、諫山botなんか見るんじゃなかったー、エレンとアルミンが考えの相違からいずれ袂を分かつというのも、諫山さんが読者の期待を裏切るのが好きだというのも、かなり初期の頃にbotで知ったんだよね。(「ネタバレ」問題に関してはまた別の機会に書くつもり。)

 

話がそれた。

アルミンとアニの会話に戻そう。

 

「…頭のどこかで いつか… エレンと一緒に未知の世界を旅するって約束 それが叶うと …思ってたんだ」

「未知の世界は… そんなにいいものじゃなかったでしょ?」
「うん… 僕らが夢見た世界とは違ったよ… …でも まだ…僕らが知らない 壁の向こう側があるはずだと… 信じたいんだ」

 

ここ、「信じたいんだ」がその前の文よりだいぶ小さい文字になってるの重要!
つまり、あるはずなんだよ! 「まだ…僕らが知らない 壁の向こう側が」!

 

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この「まだ僕らが知らない」は、「まだ読者が知らない=まだ読者に知らされていない」である。

つまり、最終話で知らされる。

と私は信じたいんだ!!!

 

それはきっと、リコが「みんな……死んだ甲斐があったな…」と言ったような、それを目指して調査兵団が己の心臓を捧げ、仲間を見殺しにして突き進んできたところの…「バカみたいに壮大な理想の世界」であることを…
信じたい。

 

 ユミルがジークでなくてエレンを選んだ理由は、安楽死か繁殖かって話じゃなくて、

ジークは「俺は王家の人間だ。俺の言うことを聞け!」で、エレンは「もう誰の言うことも聞かなくていい、お前が選べ!」だったから、私はそこの違いやと思ってたけどな~。

 
ユミルが囚われていたその相手はフリッツ王ちゃう、あのニョロニョロやん。
(なんでユミルが王を助けたのか… 「愛」とは言いたくない。けど、愛っていろいろやから… 自分が死んでもかまわないから相手の命を救いたい!って思うことさえ希なのに、あの場面で咄嗟に動けるのって… 「愛」という他に何と言えばいいのか、私は不勉強ボキャ貧なのでわからん…)

 

うん、ほんまほんま。

エレンが死ねばニョロニョロも消えるんちゃうか~
ユミルは解放され、巨人もいなくなる、ジャンも人間に戻る!

めでたしめでたし
という安易なハッピーエンドに、あの諫山さんがするわけない、とは思うけどな。

 

 

うん。
我ながら、書いてることの精度が低すぎてイヤになる。

精度上げようとして台詞の抜粋を多用すると読みにくくなるし、難しいな。


自己嫌悪から書くのが面倒になったせいもあり、ブログはちょっと休憩してた。

ここ数日は「原典に当たれ」ちゅーことで、1巻から読み直してて、今は7巻。

とりあえず、これだけは言っておこう。


進撃の巨人」は、ノーベル平和賞ノーベル文学賞に値する作品です!!

 ほな、また。

 

 

追悼の思いをよせながら ~最終話はまだ読めない~

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f:id:musitarabakani:20210417181504p:plain第138話から四コマ漫画を作ってみた~(並べただけ)
タイトルは「ニョロニョロくん大活躍!」
※ニョロニョロくんについての記事は最後の方にチョロチョロっと書いてます!

 

昨日の夕方、何時頃だったろうか。

うちの前の大通りを救急車とパトカーが何台も通っていった。
すぐ近くの駅で人身事故があった時も似たような感じだったが、今回はヘリまで複数飛んで来るので、さすがに気になる。

 

ベランダに出てみたら、今まで見たことのない白い車(救急車とパトカーの中間のようなやつ)がサイレンを鳴らしながら大通りを西へ向かっているところだった。

車体には目立つ青い文字で大きく…「BLOOD」

それより小さく「血液」

 

しばらくして、またサイレンが響いた。今度は一台の救急車がゆっくりと角を曲がって裏道の方へと走っていくのが見えた。

交通量の増えてきた大通りを避けて同じ現場に向かっているとすれば、現場はうちからかなり近い場所ということ。

別件の可能性もあるが、しかし、相変わらずヘリの音は不気味に響いている。

近くで尋常ならざる何かが起きているのは確かだった。

今朝になって事故のことを知った。

マンション地下駐車場の事故で4人の方が亡くなった。

予想以上に近い所だったのでショックを受けた…

ネットニュースをチェックした長女と、あれこれ話した。

 

長女「自力で脱出して助かった人がいるって!」

明暗を分けたのは何か? 

たまたま脱出口に近かったとか、運かもしれないが、そうでないかもしれない。

 

長女「早く走れるようにダイエットすべき? あと筋トレも…」

日頃から建物に入ったら必ず脱出経路を確認したがいいし、空気に少しでも異変を感じたらすばやく布で口や鼻を押さえるなど、一瞬の判断が生死を分けるかもしれない…

「うわー ハンカチ持ち歩かなあかんなー」と言う長女はいつもスマホしか持ち歩かず、「ハンカチ・ティッシュ・財布・家の鍵くらいは自分で持ちなさい!」と母親に注意されている。

 

誰しも危険な目に遭う可能性はあるが、現場の作業員さんって事故に遭う確率高いかもしれない。

今回の事故、どんな作業をしていたのか詳細は知らないけれど。

いつも通り元気に仕事に出かけて、こんなことになるなんて…

亡くなった方、遺族の気持ちを思うと、本当に気の毒だ。

 

「だから… もっと勉強しなさい、って世の中の親は言っちゃうんだよね…」と言う長女は、いわゆる難関大学を出てIT企業に就職したものの、毎日つらいから会社辞めたい、お金はそんなに要らない、体動かす仕事がしたい、水族館で働きたい、農業やりたい、花屋になりたい、ビーズ作品メルカリで売りたい、漫画描きたい、と、いろいろ人生模索中。

発達障害「モザイクゾーン」だ。

  

 ヘリは今朝も飛んでいた。

 

ご近所で起こった痛ましい事故。

私が感じたこと、思ったこと。そこから帰結したことは…

 人生最後の日は突然やってくるかもしれない。だからその時まで最大限の努力をして生きようということ。

 

つまりね、やっぱり、「進撃の巨人」の最終話を読む前に、これまでとおんなじように、ちゃんと丁寧に読み込んで感想や最終話の予想を書き残さなあかん、ってことよ。

めんどくさがらずに。

 

 4ヶ月に一度の単行本を楽しみに生きてきた私。「進撃の巨人」は私にとって、欠くことのできない「生き甲斐」のひとつ。

手書きの感想はルーズリーフ148頁分+α(各話ごとの要約、壁や街などの図解)。

書いたものを読み返して過去の自分と対話するのも、ささやかな楽しみだった。

 

いよいよ完結!ってなって、世間様からのネタバレが怖くなって、慌てて33巻以降の4話分をネットの英語版で読んで、あれ?訳おかしい、どころかページぐちゃぐちゃ、ダメじゃーんこれって、息子にオフィシャルのやつネット購入してもらって読んで、初めての別マガ(「別マ」って言うと別冊少女マーガレットだからね)ゲットするために夜の街や早朝の街さまよってリアタイ気分って舞い上がってたけど…

 

浮かれてないで、これまで通りにやろう!

 

最後の総仕上げとなる「第138話までを読んだ感想」を書かないうちは、最終話を読むわけにはいかないのだ。

書きかけだった第69話の感想の続きもしっかり書きたい。

昨日ブログ更新したあとに、いくつか思いついたことがある。

 

 そうだ、備忘録として感想の予告をメモしておこう!

 

リヴァイの母親とミカサの母親の違い。

アッカーマンは純粋で一途で優しい。(つおい!)
ミカサも同じ。
ミカサはサロメサロメよりすごい。
ユミルの微笑み。なんであのコマにユミル描いたん?
自由、だよ、自由。
ユミルほどの奴隷はおらん。永遠に奴隷やん。
エレンが目指したのはユミルの解放なんちゃう?
「外の世界に人類がいたことにがっかりした」のは本当やろうけど、それでも、エレンはずーーっと「巨人がいない世界」にしたかったんちゃうの!?


ユミルがジークでなくてエレンを選んだ理由は、安楽死か繁殖かって話じゃなくて、

ジークは「俺は王家の人間だ。俺の言うことを聞け!」で、エレンは「もう誰の言うことも聞かなくていい、お前が選べ!」だったから、私はそこの違いやと思ってたけどな~。
ユミルが囚われていたその相手はフリッツ王ちゃう、あのニョロニョロやん。
(なんでユミルが王を助けたのか… 「愛」とは言いたくない。けど、愛っていろいろやから… 自分が死んでもかまわないから相手の命を救いたい!って思うことさえ希なのに、あの場面で咄嗟に動けるのって… 「愛」という他に何と言えばいいのか、私は不勉強ボキャ貧なのでわからん…)


うん、ほんまほんま。

エレンが死ねばニョロニョロも消えるんちゃうか~
ユミルは解放され、巨人もいなくなる、ジャンも人間に戻る!

めでたしめでたし
という安易なハッピーエンドに、あの諫山さんがするわけない、とは思うけどな。

あ、いっぱい書いた。
正確性を気にせずテキトーに書くの楽しいわ(笑)
あちゃー、固いから少し置こうと思ってたハーゲンダッツ、完全に溶けてもーた。